『しずかに流れるみどりの川』(ユベール・マンガレリ著、田久保麻理訳、白水社)


c0077412_15283717.jpg『Une Rivière Verte et Silencieuse』(Hubert Mingarelli、1999)
物語は主人公の少年プリモが、自分より50センチも丈の高い草むらの中を一人で歩く場面から始まる。プリモは草むらの中をゆっくりと、辿ってきた道を見失わないように歩く。そのトンネルのような道はプリモが開いた道で、誰にも出会わない道、プリモだけの道だった。2キロか4キロの草のトンネルを、プリモは草の穂先を揺らすかすかな風の音や草の間から差し込む光を感じながら往復する間に、いろいろな考えごとをする。
プリモはお父さんと二人暮らし。家は4枚の壁、2枚の板を合わせた三角屋根の簡素なもので、部屋は一つきりだった。家のある通りには工場の現場監督や技師が住む、しゃれた庭付きのきれいな家が並んでいた。ベランダにはイチジクの植木が置かれていたり、つる草が絡まっていたりした。
プリモの家にもつるバラがあったが、それは家の裏側に生えていたので、誰の目も惹かなかった。でもある日、父さんがいいことを思いついた。つるバラの種をまいて育てることにしたのだ。土を入れて種をまいたたくさんのガラスの瓶が床の上に100個も並んだ。父さんとプリモは朝になると瓶を外に出し、夕方になると家に入れて、せっせと世話をした。つるバラを売ればお金が入る、そうすればいろいろ欲しいものが買える、と楽しみにしながら。
父さんは工場をクビになったあと、あちこちに雇われ仕事に行くしかない。だから電気代が払えなくて、電気を止められてしまった。でも父さんは、食事をする時や寝る前にはきちんとお祈りをするし、プリモにもきちんとお祈りをさせる。プリモの話もよく聞いてくれるし、プリモの記憶力を褒めてくれる。なぜならプリモは父さんが子どもの頃に、みどりの川で青いマスを素手で捕まえたことを「おぼえている」からだ。みんなは父さんのことを「落伍者」と言うけれど、みんなは父さんが青いマスを手でつかまえたことを言い忘れているのだ。みどりの川と青いマスのことを。

随分前に(2006年2月に)同じ作者の『おわりの雪』を読んで、児童文学風だけれども実は児童向きではない小説だと感じたことを思い出す。少年の回想による父と子の物語という点では共通するが、『しずかに流れるみどりの川』のほうは児童文学としても読めそうである。(2014.5.10読了)
[PR]
by nishinayuu | 2014-08-23 15:30 | 映画・ドラマ | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://nishina.exblog.jp/tb/22505863
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< 『ハーヴェスト・ムーン』(K.... 『鏡の中の言葉』(ハンス・ベン... >>