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『死の舞踏』(ヘレン・マクロイ著、板垣節子訳、論創社)


c0077412_10555779.jpg『Dance of Death/Design for Dying(英国版)』(Helen McCloy, 1938)
本格ミステリー作家ヘレン・マクロイ(1904~1992)のデビュー作。サスペンスの要素はあまりなく、気楽に楽しめる作品である。というのも事件を解決していく主役が警察官や敏腕探偵ではなく、地方検事事務所に所属する精神分析医という設定で、しかもこの人物がなかなか魅力的に描かれているからだ。すなわちベイジル・ウィリング博士は長身で、ほっそりした身のこなしは優雅そのもの。神経が細やかで、情に厚く、繊細で直感的。リムスキー・コルサコフの「サドコ」を聴いていると身も心も解け出しそうになる。すべて母親がロシア人だから、ということらしい。
ある場面で彼は、ベイジルという名前は「ヴァージリィ」の変形だ、と事件を担当するフォイル警視に説明している。このロシア人とは気づかれにくい名前を利用し、ロシア語などわからないふりをしてベイジルは、ニコラス・ダーニンというロシア人に会いに行く。軍需品会社の経営者であるダーニンは高層ホテルの塔部分の一角に居住していて、事件に関する自分の推論をあれこれベイジルに披露する。このときベイジルがダーニンの使用人であるのセルゲイにも質問したい、と言うとダーニンは「ええ、どうぞ。でも、先に申し上げておきますが、セルゲイからはなにも得られないと思いますよ。ロシア人のこの身分の人間の例に漏れず、無精で愚かで迷信的な男ですから」と言ってからセルゲイに向かってロシア語で「こちらの人たちがおまえにものを尋ねたいそうだ――おまえのような薄汚い豚に!嘘を交えないで答えろ――できるものならな!」と悪態をつく。
セルゲイのフルネームはピオトロヴィッチ・ラダーニンというのだが、ずっと後の場面で彼が実は革命で没落した地主で、ダーニンはその庶出の息子だと判明する。ダーニンというのはラダーニンの後ろの2音節をとった名だったのだ。ダーニンが「この身分の人間」と言ったのは旧地主階級の人間のことであり、落ちぶれた父親を使用人として雇うことで屈辱的だった子ども時代の復讐をしていたのだ。ベイジルが実はロシア人の血を引いていて、祖父は音楽家のヴァジリィ・クラスノイだと明かすと、セルゲイは、天才的な指揮者だった、と懐かしむのだった。本筋とは直接関係のないエピソードだが、こんな話が盛り込まれている点がこの作品の魅力の一つだ。
もう一つおもしろかったのが、登場人物の一人・キャロライン・ジョウィットが署名する時に誤ってキャサリン・ジョセリンと書いてしまったことについてベイジルが次のように言っていることだ。
これは、頭韻への無意識の愛着を示すものでね。犯罪者が偽名を使う時に、無意識に自分の名前と同じイニシャルの名前を選ぶことにも同じ傾向が見られるんじゃないのかな?

偽名を使う時には気をつけなくては。(2014.4.26読了)
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by nishinayuu | 2014-08-03 10:56 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2014-08-07 21:50 x
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