『友情』(フレッド・ウルマン著、清水徹・清水美智子訳、集英社)
2014年 04月 25日
『Reunion』(Fred Uhlman, 1971)
これは、16歳から18歳の間にあった二人の少年が育んだひたむきな友情と悲痛な別れ、そして長い年月を経た後の思いがけない「再会」を描いた、短いけれども深く心にしみる作品である。
物語は1932年1月に始まる。語り手はシュトゥットガルトのカール・アレクサンダー・ギムナジウムの生徒で、16歳の誕生日を迎えたばかりだった。ドイツの灰色の暗い日に、語り手のクラスに一人の少年が転校してくる。姓をグラーフ・ホン・ホーエンフェルスといい、ホーエンフェルス城館で生まれたという、まるで別世界から来たみたいな少年・コンラディンだった。クラスの少年たち――シュヴァーベン地方特有の、鈍重で凡庸、健康だが想像力に乏しい連中――に飽き足らなかった語り手の前に、友情というものについて抱いているロマンチックな理想に応えてくれる少年、絶対的な信頼と忠誠と自己犠牲への要求を理解してくれる少年として立ち現れたのがコンラディンだった。それから1年あまりの間、彼は「その人のためには喜んで生命を投げ出したいと思う」友だった。しかしこのとき、始めは遙か遠いものとしか思えなかったナチズムが、ついにシュヴァーベン地方まで飲み込もうとしていた。そしてもはやこの国は、まずシュヴァーベン地方の人間であり、次にドイツ人であり、そして最後にユダヤ人なのだ、と思って暮らしてきた語り手一族に、これまで通りに暮らすことを許さなかった。両親によってアメリカへと送り出されることになった語り手のもとに、コンラディンは別れのことばを送ってくる。「ぼくはヒトラーこそがドイツの希望だと信じている。残念ながら新生ドイツにはきみの居場所はないだろうから、きみがアメリカ行きを選択したのは賢明なことだ。二人の道が分かれてしまうのはつらいけれども、きっといつの日か、ぼくたちの道は再び交わることだろう。ぼくは永久にきみを忘れない」と。
それから4半世紀あまり、9千日を超える日々の多くが、枯れ木に残る乾いた葉のように死んでいる、そんな歳月のあとで、コンラディンが希望を込めて言ったことば通りに、確かに二人の道は再び交わったのだった。(2014.1.22読了)