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『畏れ慄いて』(アメリー・ノートン著、藤田真利子訳、作品社)


c0077412_17435313.jpg『Stupeur et Tremblements』(Amélie Nothomb, 1999)
『殺人者の健康法』の作者による9番目の作品。舞台はヨーロッパ人にとっては謎の国である日本で、語り手は若いベルギー女性のアメリーくん。世界でも指折りの大企業であるユミモト商事に契約社員として採用された「わたし」は1990年1月8日、張り切って出社する。まず出会ったのは50代くらいの貧相で醜い日本人男性、サイトーさんだった。サイトーさんの上には副社長のオーモチ氏、そのまた上には社長のハネダさんがいて、サイトーさんの下にはモリさんというすらりとした日本女性がいた。「わたし」の直属の上司であるモリさんはうっとりするほど優雅で、神々しい顔の輝きと知性にあふれた声の響きを持つ美しい日本女性だった。日本のカイシャで働くのがユメだった「わたし」は、モリさんの真向かいにある自分の席で彼女の美しい顔を眺めながら過ごした最初の日を、すばらしい一日だったと感じた。しかしこのとき「わたし」はまだ、自分の採用理由になった能力が全く発揮できない日々が待ち構えていることことに、全く気づいていなかったのだった。
英文の手紙を書く仕事、来客にコーヒーを出す仕事、コピーをとる仕事など、命じられた仕事はことごとく相手の意に染まず、郵便物の配布、カレンダーめくりなど自分で考えて取り組んだ仕事もことごとく否定される。そんな「わたし」を見かねてテンシさんが、「わたし」の能力が発揮できる仕事を与えてくれ、達成感を味あわせてくれたのだが、それが「わたし」を徹底的に追い込むことになる。テンシさんのしたことはカイシャの秩序を乱すことだったのだ。そのことをオーモチ氏に告げたのは、なんと「わたし」が憧れ、尊敬していたモリさんだった。このことがあってからモリさんの「わたし」への嫌がらせはどんどんエスカレートしていく。配置転換に次ぐ配置転換の末に「わたし」がたどり着いた仕事は……。

これは作者が実体験を基にして、日本のカイシャという組織とそこにがんじがらめになっている日本人たちを思い切り戯画化して笑い飛ばした作品である。「わたし」であるアメリーくんのしたたかさに思い至らずに、このような作品のネタを提供してしまった面々には同情を禁じ得ない。なおタイトルは、本文中の次のくだりからきている。

昔の日本の公式儀典では、天皇陛下に対しては、「怖れ慄いて」拝謁することが定められていた。わたしはこの言葉が大好きだった。サムライ映画の中でもそのようなシーンがよく登場する。(中略)わたしもフブキ(モリさんの名前)に、畏れいった表情で、激しい恐怖に慄きながらたどたどしく言った。「ゴミ集めの仕事くらいなら、(わたしでも)できると思いますか?」
(2013.12.25読了)
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by nishinayuu | 2014-03-24 17:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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