『暗い絵』(野間宏著、筑摩現代文学大系)


c0077412_9484796.jpg表題にある「暗い絵」というのはブリューゲルの一連の絵を指しており、冒頭にはこのブリューゲルの絵の描写が延々と綴られている。

草もなく木もなく実りもなく吹きすさぶ雪風が荒涼として吹きすぎる。はるか高い丘のあたりは雲に隠れた黒い日に焦げ、暗く輝く地平線をつけた大地のところどころに黒い漏斗形の穴がぽつりぽつりと開いているその穴の口のあたりは生命の過度に充ちた唇のような光沢を放ち堆い土饅頭の真ん中に開いているその穴が、繰り返される、鈍重で淫らな感触を待ち受けて、まるで軟体動物に属する生き物のようにいくつも大地に口を開けている。(中略)またこちらには、爬虫類のような尾をつけた人間が股を広げて腰を下ろし尖った口の中から汚れた唾液をはきかけている。その股の間には、やはりあの大地に開いていると同じ漏斗形の穴がぽかりと開いていて(その尾のある人間は)自分の生活を苦しみという言葉で表情する術さえ知らぬ無表情なそげた顔をして、自分の股の間に開いているあの暗い穴をじっと見つめている。(後略)

主人公の深見進介はこの絵に、貧困に対する痛烈な憤怒、無知と愚昧と冷酷に対する反抗と、民衆への強い執着を見た。ブリューゲルの画集はもともと友人の永杉英作のものだった。京都の大学に在学中、深見進介は永杉の下宿でときたま、数人の友人たちといっしょにこの画集を眺めた。それはシナ事変の勃発前後の、彼らの強烈な精神が日々に光を放ち、自己嫌悪と傲慢が奇妙に混合した日々だった。その友人たちは戦争が信仰するにつれて、あるいは民間の刑務所に繋がれ、あるいは郡の監獄に入れられて獄死した。永杉から画集を借りだして以来、深山はしじゅうこの画集を手元に置いていたが、学校生活を終え、社会に出るようになってからは、頑なに誰ひとりとしてこの画集を見せようと思う人間には出会わなかったのだった。

一つの時代の雰囲気とその時代を生きる青年の心をブリューゲルの絵に托して描いた、陰湿さと暗さの中に自恃によるある種の明るさがほの見える作品である。(2013.10.30読了)
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by nishinayuu | 2014-01-23 09:49 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2014-01-27 00:55 x
鬱屈した時代に生きる鬱屈した青年たちの思いと暗い絵が重なって、その時代の雰囲気が見事に描かれた小説だと思いました。昔昔に読んだ時の印象です。
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