『リュヴェルスの少女時代』(ヴォーリス・パステルナーク著、工藤正廣訳、未知谷)


c0077412_954064.jpg『ДЕТСТВО ЛЮВЕРС』(Борис Пастернак, 1918)
この作品は詩人パステルナークによる散文小説である。訳者によると、生涯にわたって詩を書き続けたパステルナークが究極の到達点として書き上げたのが『リュヴェルス』、『ポーヴェスチ』、『ドクトル・ジバゴ』という3編の散文小説であり、前の2編は『ドクトル・ジバゴ』への里程標ともなる作品だという。
ところでこの作品は、確かに散文で書かれた小説ではあるが、この小説の散文は単語や文章の意味がすっと頭に入って来ないことが多く、非常に読みづらい。しかし、しばらく辛抱して読み進んでいくと、見た目は散文であるけれども、実体は詩なのだ、ということがわかってくる。普通の散文のようなすぐ意味の取れる言葉や文章を期待することなく、一つ一つの言葉や文章が醸し出すものをそのまま受け取り、感じ取り、味わいながら読むべき小説なのである。
ただ、非常に残念なのは、読者が感じ取るものは訳者の感じ取ったもののおこぼれのようなものであって、作者の伝えようとしているものとはずいぶん遠いものになっているかもしれない、ということである。これは翻訳小説全般にいえることかもしれないが、この作品のように原文が「詩」である場合は翻訳というフィルターの影響は格段に大きいのではないだろうか。だから読んでも意味がない、ということではもちろんない。小説の内容も、言葉や文章の醸し出すイメージも、実に感動的で素晴らしいのである。だからこそなおさら、それを原文で味わえないのが残念でならないのだ。原文を存分に味わえる訳者が羨ましい。それはそれとして、巻末には訳者による実に丁寧な「評註」が付いており、この部分も作品そのものに劣らず読みでがある。

物語は主人公である通称ジェーニャの、幼年期から思春期にかけての心身の成長を描いたものである。両親や兄のセリョージャと暮らしていた家には、初めミス・ホーソンというイギリス女性の家庭教師がいたが、後釜のフランス女性は性格の悪い女性だったこと。夜行の汽車に乗り、ウラルを越えてアジア地域にあるエカテリンブルクに引っ越したこと。中学に入る予定だったけれど、なぜか取りやめになって家庭教師の下で勉強していたこと。「ベルギー人たち」がよく家に来たこと。そのなかにネガラトという人がいてロシア語の勉強に熱中していたこと。薪の山の影でレールモントフの『デーモン』を読もうとしていて、ふと三人の女たちがまどろんでいる姿を見たこと。彼女たちは起き上がって振り返りながら立ち去っていったが、彼女たちの見ていたのはびっこを引いている男だったこと。あとになってわかったのだが、その男はツヴェトコフという名前だったこと。母親がどことなく門番のおかみさんのアクシーニャと似通った点が出てきたこと。などなどが主としてジェーニャの視点を通して綴られていく。

これは何度でも読み返したい作品である。また本書は装丁も美しく、作者の父である画家、レオニード・パステルナークの画が数葉差し込まれており、まさしく愛蔵本にふさわしい作りになっている。(2013.9.17読了)
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by nishinayuu | 2013-11-30 09:30 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2013-11-30 22:03 x
ロシア革命の前のロシア、ヨーロッパロシアだけでなく、シベリア雰囲気も分かるのは面白そうですね。いろいろな階級とか世代の人も出てきて、ロシア的なものが分かるかも。
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