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『チューブな形而上学』(アメリー・ノートン著、横田るみ子訳、作品社)


c0077412_10444120.jpg『Métaphysique des Tubes』(Amélie Nothomb、2000)
本書は駐日ベルギー領事の娘として1967年に神戸に生まれた作者が2000年に発表したもので、幼児の視点と幼児の感覚が捉えた人生最初の日々の記録、というユニークな物語。
物語は「はじめに言葉があった」というヨハネによる福音書の冒頭をもじった「はじめに無があった」という文で始まる。それから、言語を持たず、ゆえに思考も持たず、ただ充足だけがあって、食物摂取、消化、そしてその当然の結果としての排泄だけが大切な仕事である段階の生物を「チューブ」と呼ぶ、という前置きがあって、いよいよ「チューブ」の登場となる。
既に男の子と女の子の親だった両親のもとに三番目にもたらされたのがチューブだった。不活発の権化で、動くこともしなければ泣きもしなかった。二歳までにチューブは一度も這い這いをしようとしなかったし、泣きわめくことさえなかった。チューブはひたすら円筒形であり続けた。そしてある日、突然家じゅうに、ものすごい叫び声が響きわたった。しばらくするとその激怒の発作はおさまったが、幼児は周りに集まってきた人間たちを、憎悪で煮えたぎった瞳で見つめているようだった。
人生に目覚めた幼児に会おうとベルギーからやって来た祖母は、暴れて拒絶する幼児にベルギーから持ってきたおみやげを差し出して言った。「ホワイトチョコレートよ。これは食べ物ですよ」。幼児は「ホワイト」と「食べる」を理解した。壁はホワイト、牛乳もホワイトだったし、「食べる」はいつもやっていることだったから。勇気を出してそれを口に入れたとたん、ホワイトチョコレートの甘さが口中に広がり、脳細胞にかぶりついた。すると奇跡が起こった。「これは私よ、もう自分のことをソレだなんて思わない。はじめまして言葉さん」という声が引き出された。こうして「わたし」は1970年二月に二歳半で、祖母の勇気とホワイトチョコレートの恵みを受けて、夙川で誕生したのだった。
「わたし」はこのあと恐るべき思考力と感覚を発揮していく。慎重に選んで最初に発した言葉はママとパパ。次の言葉はついこの前までの自分を彷彿とさせる物体である「掃除機」。この時、ラファエロの絵をはじめて発見したときコレッジョが「私も画家である!」と叫んだように、危うく「私も掃除機である!」と叫びそうになったが、すんでのところで思いとどまった。人びとはまだ、わたしが「文」を操れることを知らないからだ。こうして「わたし」は大好きな家政婦のニシオさんのこと、もう一人の家政婦で白人を憎んでいるカシマさんのこと、おぼれかけたときに助けてくれたヒューゴに文でお礼を言ったため、しゃべれることがみんなにばれたこと、『タンタン』で読み方を独習したこと、鯉の太って醜い姿に不快感を覚えたこと、父親が能の公演で謡をうたったときのこと、父親が排水溝に落ちて何時間も助けを待っていた日のこと、もうすぐ三歳というときにお話を作り始めたこと、いつかは日本から出て行くことになると知って衝撃を受けたこと、三歳の誕生日のプレゼントが望んでいた象のぬいぐるみではなくておぞましい鯉だったこと、鯉の体はチューブで、自分もやはりチューブなのだと悟って、池の水の中で人生の糸が切れるのを待っていたこと、などなどを語っていく。
人生の傷みを軽妙な語りとセンスあふれる言葉遣いで軟らかく包んだこの作品は、フランスをはじめとする各国で絶賛されているという。また、フランスでは戯曲化されて数年にわたって上演されているそうだ。(2013.8.21読了)
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by nishinayuu | 2013-11-03 10:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2013-11-04 23:46 x
可愛くておもしろい!
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