『センチメンタルな殺し屋』(ルイス・セプルベダ著、杉山晃訳、現代企画室)


c0077412_18413618.jpg『Diario de un Killer Sentimental』(Luis Sepúlveda,1996)
この作品は、暴力的な世界に身を置きながらいつの間にか染みついた人情味に振り回される男を描いたもので、歯切れのいい文章と独特のユーモアが印象的である。特に愉快なのは、鏡や水面に映る自分の姿を「自分によく似た相棒」とみなして語りかける場面と、タクシー運転手のおしゃべりに悩まされる場面。作者はこの二つがよほど気に入っているらしく、作中にいろいろなヴァリエーションで出てくる。
語り手の私はプロの殺し屋。仕事を片づけている間メキシコに遊びに行かせておいた「うちの彼女」が、あと数時間で戻ってくるので、彼女とマドリードで一週間ほど休暇を過ごす予定だった。マドリードのホテルに着くとフロントで、部屋の鍵と封筒を渡された。封筒には男が6人写った写真が入っていて、ターゲットの頭がマーカーで囲んであった。部屋に入ると「電話のベルが鳴った。元締めの声だとすぐにわかった。まだ一度も会ってないし、会いたくもないが――プロとはそういうものだ――声だけは瞬時に聞き分けることができた。」明日は写真の男を始末するためにマドリードを離れなくてはならないが、彼女はマドリードに一人で残るのはいやがるだろうな、と思いながら酒場で時間をつぶしてホテルに戻ると、「わが美女」からのファクスを渡された。メキシコで知りあった男に恋をしてしまったので戻れない、とあった。私は仕留めるべき男の写真に話しかけながら夜を過ごした。ホテルのバーから持ってこさせたウイスキーのボトルの栓もあけずに。いくら女を寝取られたとはいえ、プロはプロなのだ。
かくして私は仕事にとりかかり、元締めの指示に従って、つまり標的の移動に従って、次々に移動する。イスタンブールへ、フランクフルトへ、パリへ、ニューヨークへ、メキシコシティへ。
非情な殺し屋だったはずの語り手がセンチメンタルな殺し屋になってしまったのは、3年前に彼女に会ってしまったせいであり、もう充分稼いだので、そろそろ引退しようと思い始めたからでもある。それで語り手は、なぜ標的を殺さねばならないのか、と考えてしまったり、標的に自分の意図を明かしてしまったり、とプロの殺し屋らしからぬ事をいろいろやってしまう。ついには元締めとのご対面という、あってはならない事態にまで至るのだが、これは元締めの方でも語り手との仕事はこれが最後だと考えていたからだ。「相棒」に語りかけて気を落ち着かせたり、「相棒」からアドヴァイスを受けたりしながら、語り手は最後の仕事をやり遂げるべく奮闘する。全部片付いたら「ぞっこんの彼女」を許してやろうと思いながら。(2013.8.14読了)
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by nishinayuu | 2013-10-22 18:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2013-10-24 11:55 x
殺し屋が無事に引退できるのかしら。
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