『静寂のノヴァスコシア』(ハワード・ノーマン著、栗木さつき訳、早川書房)


c0077412_14304990.jpg『My Famous Evening』(Howard Norman,2003)
副題はNova Scotia Sojourns, Diaries, and Preoccupations。著者はロシア系とポーランド系の血をひくアメリカの作家である。
本書は4つの章からなるが、第1章の前に置かれた「はじめに」、第4章のあとに置かれた「エピローグ」、そして松本侑子による巻末エッセイ「アンと私のノヴァスコシア州」もそれぞれ一つの章に劣らない比重を持つ内容が盛り込まれているので、全体として7つの部分で構成されている作品と考えた方がよい。
「はじめに」で著者は、『トロツキー・イン・ハリファクス』という映画の脚本を依頼された話から語り始め、ハリファクスの町に、そしてノヴァスコシア地方に深く惹かれるようになったいきさつを明かしたあと、次のように言う。
いかなる本もノヴァスコシアを定義することはできないのだから、日記、日誌、録音テープ、あれやこれやの走り書きなどを整理し、発表する最善の策とはなんだろうと、私は自問した。(中略)その結果、私自身の物語にできるだけ多くの人びとの物語を編み込み、時間という感覚を文脈にとりいれようという結論にいたった。
こうして綴られたのが以下の4つの章と「エピローグ」である。
第1章『わたしの有名な夕べ』――コンラッドの小説に取り憑かれた女性マーレイ・クワイアが、一人でニューヨークに出かける。文学とは無縁の夫を振り切り、子どもたちへの愛も断ち切って彼女が目指したのは、パークアヴェニューの67丁目のある邸宅。そこで一夕、彼女の憧れのコンラッドが自作を朗読すると知ったからだ。彼女が姉に宛てた数通の書簡と、著者による姉へのインタビューで綴られる、あるノヴァスコシア女性の「すばらしい夕べ」の物語。
第2章『愛、死、海』――ノヴァスコシアは前触れと予言の宝庫であり、口承民話の宝庫である。いわばカナダの遠野であるが、この地方らしい特徴は、著者が集めた99の前触れの話のうち88の話で鳥は死の前触れの主張であり、97の話に海での死が登場したという点だ。またここにはスコットランドに古くから伝わるセルキー物語(アザラシ人間に関する物語)の痕跡もある。これはノヴァスコシアが野鳥の聖地であること、すぐそこに海があること、スコットランド系の住民が少なくないことと関わっている。ところで、著者に土地の語り部を引き合わせてくれたクリスティンと著者が、ずっと後に再会する場面が章の最後に出てくる。そのときクリスティンに住まいを尋ねると「パークアヴェニューの67丁目あたり」という返事が返ってくる。このとき著者は彼女にコンラッドの話をするのを我慢する。第1章の女性がそこを訪ねたときからもう50年も経っていたから。
第3章『野鳥観察者のノート』――グルースカップ・トレイルをたどる野鳥観察の旅の話である。グルースカップというのは先住民族ミックマックの民話に出てくる巨人の名前で、グルースカップ・トレイルは彼が成し遂げた数々の偉業に敬意を表し、彼の歴史的放浪の経緯を描いて作られた道である。ノヴァスコシアで鳥を観察するようになってから30数年という著者は、たとえば『ガンカモ目(サケビドリ、ハクチョウ、アヒル、ガチョウ)の寄生生物』といった淡々とした研究論文にも一種の詩を見出すことがあるという。そして最後に「適した生息地によく見られる」「比較的よく見られる」「あまり見られない」「めったに見られない」「迷鳥」に分けたノヴァスコシアの鳥を4ページにわたって掲げている(おそれいりました!翻訳者はご苦労様でした)。
第4章『ドライヴィング・ミス・バリー』――詩人エリザベス・ビショップの研究者であるサンドラ・バリーと共にした旅の記録。20世紀のアメリカが生んだ偉大な詩人とその研究者の両方の魅力が伝わってくるエッセイである。
エピローグ『ロバート・フランクは晩秋に等しい』――詩と断章によって風景写真家ロバート・フランクを浮き彫りにした一篇。(2013.8.3読了)
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by nishinayuu | 2013-10-06 14:31 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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