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『野いばら』(梶村啓二著、日本経済新聞、2011)

c0077412_20355269.jpg読書会「かんあおい」2013年8月の課題図書。本書は19の章からなり、1、12,19が現代のイングランドとアムステルダム空港、その他は150年前の江戸が舞台になっている。
物語は、醸造メーカーのバイオ事業部に籍を置く縣和彦が「俺」という一人称で語り始める。2009年6月16日、「俺」は仕事の旅の途上、イングリッシュ・ガーデンを見学しようと立ち寄ったコッツウォルズの片隅にある古い屋敷で、屋敷の主であるパトリシアから古いノートを渡される。前の持ち主であるウィリアムが1896年に書いたもので、日本人に読んでもらうことを望んでいたという。「俺」はそのノートを預かって仕事の旅のあいまに読んでいく。
時は1862年に飛び、ウィリアム・エヴァンズが「わたし」という一人称で語り始める。田舎医者の息子で、英海軍情報士官として27歳で香港に赴任して5年。妻エヴェリーンは故郷に残ることを望んだので、単身の赴任である。英国公使館襲撃、生麦事件などで英国と日本の緊張が高まっていたこの年の9月末、エヴァンズは横浜の英国公使館に転任する。赴任直後に成瀬勝四郎という男がエヴァンズの前に現れる。公使館員の雑事と大君政府との連絡を担当し密偵も兼ねる、外国奉行配下の役人である。完璧な北京官話を操り、英語を少々話す成瀬に、エヴァンズは一目で魅了される。成瀬の手配でエヴァンズは日本語の勉強を始める。場所は町外れにある禅久院、教師は70を超えた老人の野上。ところが野上は開国主義者で放言癖があったために斬殺されてしまう。成瀬は次に、親戚の女性・成瀬由紀を連れてくる。水戸に嫁いでいたが離縁されて実家にいる変わった女だという。こうして由紀は日本語の教師として週2回、江戸から泊まりがけで禅久院に通ってくることになった。
知的な美貌の持ち主である由紀は、素晴らしい日本語教師でもあった。日本語の授業の合間に、由紀とエヴァンズはそれぞれが持参した弁当を交換してみたり、エヴァンズが採集している日本の花の話をしたりして、急速に親しくなっていく。そしてある日、由紀の従者の吉次がウマラ(野いばら)を抱えてきたのをきっかけに、エヴァンズはそれが由紀のいちばん好きな花だということを知る。エヴァンズが日本の歴史書や地図の購入を頼んだときや、由紀が「菊合わせ」に案内してくれるというので、エヴァンズがお礼に英公使館に案内すると申し出たときなどに由紀が見せた緊張に、エヴァンズは深い意味を読み取ることはしなかった。しかし来日して1ヶ月経った10月末、日本の政情について互いに探りを入れるために成瀬勝四郎と密会したとき、エヴァンズは由紀の美貌のことを口にしかけて言葉を呑んだ。何か自分を強く押しとどめるものがあったのだ。それが破滅の予感だったことに、エヴァンズはあとで気がついたのだった。
敵対する陣営を背後に背負ったエヴァンズと由紀の、短くも熱い出会いと別れを最後に見届けたのは野いばらの茂みだった。150年後のコッツウォルズで野いばらの茂みを見守るパトリシアは、エヴァンズのノートを読み終えて返しに来た縣に「男って勝手ね」と言うのだが、由紀と同じ日本人であり、エヴァンズと同じ男である縣は、どう応えるべきだったのだろう。(2013.7.17読了)
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by nishinayuu | 2013-09-18 20:36 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2013-09-21 10:09 x
幕末を舞台にした物語にもいろいろな切り口があるんですね。
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