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『祖母の手帳』(ミレーナ・アグス著、中嶋浩郎訳、新潮クレストブックス)


c0077412_10162119.jpg『Mal di pietre』(Milena Agus, 2006)

原題の日本語訳は「石の痛み」。結石による痛みのことで、主人公である祖母は腎臓に結石がある。


祖母は1950年の秋に「帰還兵」と知り合った。サルディーニャのカリアリから初めて本土に渡ったときのことだ。四十になろうとしていたはずだけれども、子どもはなかった。「石の痛み」のために、いつも初めの数ヶ月で流産してしまったからだ。それで、サックコートと編み上げブーツそれに夫が田舎に疎開してきたときのトランクという出で立ちで、治療のために温泉に送り出されたのだった。

語り手の祖母はサルディーニャのカンピダーノ村で生まれ育った。世にも稀な美貌の持ち主だったが、世にも稀な感受性と情熱の持ち主でもあった。そのせいで常人の思いもよらない言動が見られ、家族に、特に母親にはもてあまされていた。1943年5月、空襲で家族を失った男が下宿人としてやって来て、6月にはその家の長女である祖母に求婚して結婚した。情熱的に愛せる相手を求めていた祖母には不本意な結婚だった。私はあなたを愛していないし、ほんとうの妻には決してなれないだろう、と告げた祖母を、祖父はそのまま受け入れた。祖父は物静かな人だった。無神論者で共産主義者だった(これは本筋にはあまり関係ないのですが)。新婚1年目に祖母がマラリアにかかったとき、祖父は献身的に看病した。腎臓結石の痛みに頻繁に襲われる祖母のために畑仕事や泉からの水くみなどの辛い仕事を代わってやった。1945年にふたりは祖父が元住んでいたカリアリに移り住んだ。
1950年、祖母は初めてサルディーニャを離れる。医者に勧められて結石治療のために本土の有名な温泉に滞在することになったのだ。温泉地のホテルで、祖母は初めて、情熱的に愛し愛される相手に出会う。彼は「帰還兵」で、

身なりはとても上品で、片方の脚が義足で、松葉杖をついてはいたものの、とても美男子だった。背が高くて色が黒く、深いまなざしと柔らかい肌、細い首、たくましく長い腕、大きくて子どものように無垢な手をしていて、短くて少しカールした口ひげの下には、輪郭のはっきりした厚い唇があり、鼻は優美な曲線を描いていた。

祖母は部屋に戻るとすぐに机に向かって彼の様子をこと細かに書き記した。こうして祖母が娘時代から心の中の思いを書き付けてきた「赤い縁取りの黒い手帳」に「帰還兵」との日々が書き加えられていく。

「わたし」という語り手が、祖母、祖父、彼らの一人息子であるパパ、そして「帰還兵」のことまで語ることができるのは、「わたし」が「祖母の手帳」を読んだからだろうと推察はできるのだが、その「手帳」がなかなか姿を現さないので、どこまでが事実でどこまでが語り手の想像なのかは謎のまま物語が綴られていく。謎は他にもいろいろある。例えば、ときどき出てくる「祖母はそのことについて死ぬまで自分を許さなかった」という言葉はなにを意味するのか。祖母が「帰還兵」と別れてから9ヶ月目に生まれたパパ(ピアニスト)のほんとうの父親は、ピアノを弾く手を持っていたという「帰還兵」なのか。互いに愛し合い、理解し合っていた祖母と「帰還兵」はなぜ二度と会おうとしなかったのか。これらの謎が最後まで物語に緊迫感を与え、謎が明かされた後には静かな感動を呼び起こす(2013.5.6読了)
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by nishinayuu | 2013-07-14 10:18 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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