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『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著、岸本佐知子訳、白水社)


『灯台守の話』(ジャネット・ウィンターソン著、岸本佐知子訳、白水社)_c0077412_9115674.jpg『Lighthousekeeping』(Janette Winterson, 2004 )
オレンジだけが果物じゃない』でデビューしたウィンターソンによる八つめの長編小説。
スコットランドの北西の外れ、海図上では北緯58度37・5分、西経5度にあるケープ・ラス(怒りの岬)に灯台ができたのは1828年だった。資金を提供したのはブリストルの大富豪ジョサイア・ダーク、設計・建設を手がけたのはベル・ロック灯台建設で名を馳せた土木技師ロバート・スティーヴンソン。灯台に最初の灯が灯った瞬間、ジョサイアの息子バベルが産声を上げた。
それから140年ほど経った1969年(アポロが月に降り立った年)、この物語の語り手である少女シルバーがケープ・ラス灯台で暮らし始める。1959年に父無し子として生まれ、事故で母親もなくして孤児になったシルバーを、灯台守のピューが引き取ったのだ。ピューは何代にもわたってケープ・ラス灯台の灯台守をしてきた一族の末裔で、目が見えなかったが完璧な灯台守だった。ピューは「灯台守見習い」のシルバーに、灯台の光を守ることと同じように、灯台にまつわる物語を語ることがいかに大切かを教える。どの灯台にも物語があり、船乗りたちは岬の一つ一つを物語で覚えているからだ。ピューは、孤児になった寂しさに泣くシルバーに、「それもまた一つの話だ。自分を物語のように話せば、それもそんなに悪いことじゃなくなる」と言って聞かせる。こうしてシルバーはピューが語る物語を聞き、自分の物語を語ることを覚え、やがて一人で自分の物語を紡ぎ始めることになる。
ピューがシルバーに語って聞かせるのは、ジョサイアの息子バベル・ダークの物語である。1850年に灯台のある街ソルツに牧師としてやって来たダークは、1851年に結婚し、牧師の仕事もきちんと果たしていた。しかし彼には大きな秘密があった。一年の大半はソルツで暮らしていたが、春と秋に1ヶ月ずつ行方をくらまし、その間はブリストルで他の女性と暮らしていたのだ。後年、ダークが50歳だった1878年に灯台を建てた技師の孫であるロバート・ルイス・スティーヴンソンが彼の許を訪れ、彼の二重生活を取材していく。これが『ジキルとハイド』(1886)となってダークのもとに送られてきたとき、ダークはピューに言う。スティーヴンソンは最後まで信じようとしなかったが、実際はブリストルでルクスとして暮らす男がジキルであって、聖職者のダークのほうがハイドなのだと。シルバーが、でもそのときピューはまだいなかったでしょ、と尋ねるとピューは、ケープ・ラスの灯台にはいつだってピューがいるのさ、と答えるのだった。(2013.4.24読了)

☆ケープ・ラスには『ジキル博士とハイド氏』の作家ロバート・スティーヴンソンの祖父によって建てられた灯台が実際にあるそうです。
Commented by マリーゴールド at 2013-07-08 11:23 x
虚実ないまぜで、本当かしらと惹きつけられます。
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by nishinayuu | 2013-07-05 09:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

読書と韓国語学習の備忘録です。


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