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『太陽通り』(トーマス・ブルスィヒ著、浅井晶子訳、三修社)


c0077412_202262.jpg『Am Kürzeren Ende der Sonnenallee』(Thomas Brussig, 1999)
タイトルの直訳は「ゾンネンアレー(太陽通り)のより短い方の端で」。ゾンネンアレーはベルリンの南東部を走る4㎞の大通りで、ドイツが東西に分かれていた時代、末端の60㍍だけが東ドイツに属していた。なぜそんなことになったかを、本書は冒頭の「チャーチルの冷めた葉巻」で語っている。ポツダム会談でこの通りの所有をめぐってトルーマンとスターリンが対立したとき、ふたりの間に入ったチャーチルの葉巻の火が消えているのに気付いたスターリンがすかさず火を点けてやった。するとチャーチルは地図を見ながら通りの端っこをスターリンに与えて決着させた、というものだが、もちろんフィクションである。本書はこのような眉唾物のエピソード、真実もどきのエピソードから成り立っているが、それらのエピソードによって「通りのより短い方の端」に押し込められた人々の暮らしぶりが生き生きと伝わってくる。「退屈」で「救いのない」時代だったはずなのに、振り返ってみれば「おもしろく」「重要」な時代だったと感じた、と作者は言う。思い出は体験を消化し、たとえ悲惨な過去であってもそれとともに生き、しかも幸福になることさえ可能にする、と信じる作者によって書かれた本書は「ベルリンの壁コメディー」なのである。
主な登場人物は15歳のミヒャとその仲間の少年たち――マーリオ、メガネ、デブ、モジャ――と、ミヒャの家族――市電の運転手の父クッピシュ氏、クッピシュ夫人、兄のベルント、姉のザビーネ、西ベルリンに住む伯父さんのハインツなど。彼らはみんな愛すべき滑稽さを見せてくれるのだが、特に愉快なのがクッピシュ夫人。ミヒャをモスクワの大学に入れるという遠大な望みを持っていて、ミヒャをロシア風にミーシャと呼んだり、進学準備コースのある「赤の修道院」にミヒャを入れるために家族にも完璧にふるまうことを求めたりする。ところが西側のパスポートを拾ったとたん、西側への脱出を考えて、化粧や何やらでいきなり20歳も老けてしまう。パスポートの持ち主が20歳年上の女性だったからだ。彼女と同じくらい愉快なのが彼女の兄であるハインツ。東側の人間が西に行くことは非常に難しいのだが、西側に住む伯父さんはわりあい自由に東の親戚を訪ねることができるので、伯父さんはしょっちゅうクッピシュ家にやってくる。そしていつも服や靴におみやげを隠して持ってくるのだが、それらはたいてい隠す必要のない合法の品なのだ。
彼らの周りには常にチクケイ(地区警察)やシュタージ(秘密警察)の姿がちらつくが、最後のほうに、マーリオとその恋人である「実存主義者」の前にゴルバチョフらしき人物が現れてふたりの急場を救う場面がある。壁の崩壊が近いことを匂わせるエピソードである。(2013.4.22読了)
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by nishinayuu | 2013-07-02 20:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2013-07-03 21:25 x
 東ドイツ時代はその前のナチス時代よりは抑圧が緩和されていたということなのでしょうか。貧しさや政治的な厳しさを笑い話にできるというのはいいですね。「ミヒャとその仲間」と言うとケストナーの[エミールと少年たち(?)」を連想します。それだけで楽しそう。
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