『リンさんの小さな子』(フィリップ・クローデル著、高橋啓訳、みすず書房)


c0077412_1122589.jpg『La Petite Fille de Mousieur Linh』(Philippe Claudel, 2005)
主な登場人物はリンさんとバルクさんという二人の老人と、サン・ディウという小さな女の子。リンさんは東南アジアのどこかの国(たぶんベトナム)の人で、息子夫婦とその子のサン・ディウといっしょに長閑な農村で暮らしていた。村は美しく、大人たちはよく働き、子どもたちは元気に遊んでいた。しかしその国ではすでに何年も戦争が続いていた。ある日、畑に出ていた息子夫婦の帰りが遅いので、リンさんが畑に行ってみると、ふたりは爆撃で死んでいた。彼らの遺体から少し離れたところで、無傷のサン・ディウが眼をパッチリ開けていた。サン・ディウはこのとき生後10日だった。
リンさんはサン・ディウをしっかり腕に抱えて船に乗った。長い航海の末に船はようやく目的地に着いた。乗船したとき生後6週間だったサン・ディウは、生後12週間になっていた。新しい国(フランス)は、11月の空の下でどんよりと曇っていて、なんの匂いもしなかった。リンさんはサン・ディウを強く抱きしめ、その耳許で歌をうたったが、それは自分の声と国の音楽を聞くためでもあった。
リンさんは難民収容所に案内され、しばらく他の難民家族といっしょに暮らすことになる。ある日、街の空気を吸いに出かけ、歩き疲れてベンチに坐ると、同じベンチにいた同年配の男が話しかけてくる。背が高くふとっていて、チェーン・スモーカーの男が、バルクです、と言って手を差し出すので、リンさんは「タオ・ライ」と言って両手で男の手を握りしめる。このようにして知りあったふたりは、やがて、会うのが楽しみな、会わずにはいられない大切な友人になっていく。それは心と心の交流であって、互いに言葉はまったく通じないのだ。バルクさんは相手をタオ・ライさんだと思っているが、リンさんはなぜこの人は何度も「こんにちは」というのだろう、と思っている。バルクさんはサン・ディウという名前もサン・デュー(sans dieu 神無し)と覚えてしまう。ほんとうは「穏やかな朝」という意味なのに。
自分が何者なのかを知っている人がいない、言葉もまったく通じない異国で、大切な孫を守るためだけになんとか生きていこうと孤独な闘いを続けているリンさん。過去の苦い思い出にひとりで苦しんできた、やはり孤独なバルクさん。生後すぐに親を亡くし、船に揺られて遠い国まで旅をし、難民収容所でよその子どもたちにおもちゃにされたりしても、決して泣き声を上げない小さな女の子サン・ディウ。この人たちがこのあとどうなるのかも知りたくなる、静謐で心温まる物語である。(2013.4.19読了)
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by nishinayuu | 2013-06-29 11:02 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2013-07-01 12:06 x
現在進行形の難民と定住国の人との交流についての情報なり、小説なり、あまり多くないですね。分かれて暮らしていると言うことなんでしょう。
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