『奇蹟も語る者がいなければ』(ジョン・マグレガー著、真野泰訳、新潮クレストブックス)


c0077412_921430.jpg『If Nobody Speaks of Remarkable Things』(Jon Mcgregor, 2002)
この変わったタイトルは登場人物の一人が幼い娘に語る次のようなことばから取られている。

この世界はとても大きくて、気をつけていないと気づかずに終わってしまうものが、たくさん、たくさんある(中略)奇蹟のように素晴らしいことはいつでもあって、みんなの目の前にいつでもあって、でも人間の目には、太陽を隠す雲みたいなものがかかっていて、そのすばらしいものをすばらしいものとして見なければ、人間の生活はそのぶん色が薄くなって、貧しいものになってしまう(中略)奇蹟も語る者がいなければ、どうしてそれを奇蹟と呼ぶことができるだろう。

巻頭に「7区」の地図が掲げられ、ふたつの大きな通りとその間にある路地が示されている。路地の片側には奇数番号の建物、もう片側には偶数番号の建物が、全部で29並んでいる。奇数番号の住人を見ていくと、13番に父親と三輪車の男の子が、19番に双子の少年たちとその妹、両親、祖父母が住んでいる。偶数番号の側では、12番に年中洗車している父親と、自分の車を買うためにお金を貯めている若者、16番に上記の幼い女の子と父親、18番にドライアイの若者が住んでいて、その隣の20番は1階によく手入れした口ひげの老人、2階に老夫婦が住んでいる。そのまた隣の22番には三人の若者、サイモン、セアラと「四角い小さな眼鏡の女の子」が住んでいる。以上のうち、12番、16番、19番の住人はパキスタン系で、20番の住人は東欧系である。訳者のあとがきによるとこの7区のモデルはイングランドの地方都市ブラッドフォードにある区で、工業都市であるこの市は非白人の比率が訳8%だという。そんな「7区」に住んでいた人々にスポットライトを当てて映像として焼き付けたような、心に残る作品である。
物語は映画のショットを繋げたような部分と、「四角い小さなメガネの女の子」が一人称で語る部分で構成されている。映画のショット的な部分では、ある一日のこの路地の住民たちの姿が細切れに綴られていく。語り手の視線(あるいはカメラのレンズ)はある人物からある人物へ、さらにまた別の人物へと次々に移動し、前の人物に戻ったと思うとまた次の人物に写っていく。その視線が一人一人の上にとどまる時間が余りに短く、その視線が捉える人物があまりに多い(路地のほぼ3分の2の家の住人が何らかの形で言及されている)ので、初めは誰が誰やら混乱するが、やがて何人か印象的な人物が浮かび上がってくる。そして、印象的な人物たちの一日も、そうでない人物たちの一日も、この日の午後起こるある出来事に向かって集約されていく。それは夏の終わり、8月31日のことだった。
その出来事があった1997年から数年後、「四角い小さな眼鏡の女の子」は、祖母の葬儀に出かけていったスコットランドで、レストラン勤めの感じのいい若者と一夜を過ごす。ある日、妊娠していることに気付いた彼女は、母親に理解してもらいたい、手助けしてもらいたいと思って母親に会いに行く。これまで母親らしい愛情を示してくれなかった母親のところへ行く旅に、一人の若者が同行する。それは18番の住人だった若者の双子の弟だった。あの日の出来事の主役の一人は19番の双子だったのだが、あの日に主役になり損なった18番の若者も双子だったのだ。そして今「四角い小さな眼鏡の女の子」はもう一組の双子を迎えようとしている。(2013.4.13読了)
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by nishinayuu | 2013-06-17 09:22 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2013-06-19 09:26 x
パズル合わせのような物語ですね。
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