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『さびしい宝石』(パトリック・モディアノ著、白井成雄訳、作品社)


c0077412_11234193.jpg『La Petite Bijou』(Patrick Modiano, 2001)
原題の意味は「かわいい宝石」で、語り手が子どもの頃に母親につけられた芸名であり愛称である。母親はパリに出てきてダンスを習い、それで身を立てようとしていた矢先に怪我をして挫折、自分のかわりに娘を芸能界に売り出そうと思ってそんな名をつけたらしい。しかし、語り手の芸歴も母親の芸歴も、ちょっとした映画に親子の役で出ただけで終わる。
物語は、「〈かわいい宝石〉と呼ばれなくなってから、もう十二年ほどが過ぎてしまっていた」という文で始まる。このとき語り手は、ラッシュアワーの地下鉄シャトレ駅で、黄色いコートの女性を見かける。面影がママンにそっくりで、ママンにちがいない、と語り手は思った。昔はおしゃれなものだったと思われるそのコートは、黄色い色が褪せてほとんど灰色になっていた。鼻は先が軽く上を向いていて、眼が澄んでいて、額が目立つ。髪は短めで昔とそんなに変わっていない。苦々しげに口許をぎゅっと結んでいるその女を、語り手はママンだと確信し、女のあとを追って語り手の家とは逆方向の地下鉄に乗り込む。女はシャトー・ド・ヴァンセンヌ駅の一つ手前のベロー駅で下り、電話ボックスに入って誰かに電話をかける。多分、音信の途絶えていないたった一人の人に、あるいは命を長らえているたった一人の人に。それから女は薬局の隣のカフェに入ってキールを注文する。語り手は近くの席に座り、大きな声でキールを注文する。仲間うちのサインだとわかってくれることを期待して。しかし女は表情を変えない。キールのおかわりをして帰宅を遅らせているらしい女を見ながら、語り手はどうしても女の家を突き止めたいと思う。「人間的な情愛」からではなく、モロッコで死んだとされて12年後に、女がどんな所に流れ着いたのかが知りたかったのだ。
母親の人生を探るための手がかりは、母親が残した手帳と25歳頃のものと思われる写真、そして断片的な記憶だけだった。語り手は切れ切れの記憶を辿っていく――母親が年齢をごまかし、次々に偽名を使い、一時は住人が不在の邸宅に入り込んで伯爵夫人を名告っていたこと。ダンサー時代の友人の話ではラ・ボッシュ(ドイツ人)と呼ばれていたこと(これはナチ占領下でドイツ人と何らかの関わりがあったことを匂わせる)。ときどき母親の弟だという優しい叔父さんと過ごしたこと。ある日母親にオーステルリッツ駅に連れて行かれ、一人でフォソンブロンヌ=ラ=フォレに送られたこと。その家の自分の部屋で、いつも母親の肖像画を見ていたことなど。その肖像画を描いた画家トラ・スングロフの名は手帳にもあった。多分母親がパリで最初に知りあった人物だ。が、今はもうその絵がどこにあるのかもわからない。
母親の人生を探りながら、語り手は漂い流れるような自分の人生を改めて見つめることになる。親に捨てられたことから漂うように生きてきて、「さびしい宝石」になってしまった語り手には、けれども温かいまなざしを注ぎ、力強い手をさしのべてくれる人がいる。クリシー大通りのマテ書店で出会ったモロー・バドマエフや、リヨン駅近くのルドリュ=ロラン大通りにある救急薬局の薬剤師などだ。だからこの語り手は『失われたときのカフェで』の少女のような運命を辿ることはないと思われ、ほっとさせられる。けれども語り手の住むパリは、あちこちに侘びしさと不安がひそんでいる街なのだ。ブーローニュの森の近く、立派なお屋敷に「仮住まい」していた一家がとつぜん姿を消す。第2の「さびしい宝石」になりそうなその家の少女に、語り手が手をさしのべようとしていた矢先に。(2013.4.8読了)
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by nishinayuu | 2013-06-14 11:24 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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