『失われた時のカフェで』(パトリック・モディアノ著、平中悠一訳、作品社)


c0077412_9442223.jpg『Dans le cafe de la jeunesse perdue』(Patrick Modiano)
『廃墟に咲く花』(2007年10月読了)と同じく、パリを舞台にした物語。『廃墟に咲く花』では読んでいるうちに時と場所の迷路に入り込んだような気分になったが、この作品では今目にしている街の背後にある、今はもう失われてしまった街と人々の姿を薄い膜を通して見ている気分にさせられる。見えてはいるけれど触れることも取り戻すこともかなわぬものへの憧憬がしみじみと伝わってくる作品である。
物語は一人の若い女性について複数の語り手が語っていく形で展開する。最初の語り手である「僕」は「失われた若者たち」のたまり場だったカフェ・コンデに現れた謎の女性ルキが、一時はカフェの常連のようになったが、また突然姿を消したことを語る。「僕」については、国立高等鉱業学校(エリート校の一つ)の学生であり続けることに疑問を持っていたことくらいしかわからないのだが、街で行き会った彼女と連れの男性にそのことを相談する場面が本書のあとのほうに出てくる。
次に登場する語り手はケスレィ。ルキことジャクリーヌ・ドゥランクの行方を突き止めるよう、その夫から依頼された私立探偵である。ケスレィはカフェ・コンデの常連であるキャプテンことボーイングが書き留めているメモによって、ジャクリーヌがバックスキンのジャケットのブルネットの男とカフェに現れた日をチェックし、彼女がセルス通りのホテル・サヴォアに1ヶ月前から投宿していること、ロランという男性とカフェ・コンデで待ち合わせしていることなどを突き止める。しかしケスレィはそのことを夫には知らせないことにする。ジャクリーヌは15歳のころからなにかから逃げ続けてきたこと、そして今は夫から逃げて身を隠していることがわかったからだ。
3番目に登場する語り手はジャクリーヌ・ドゥランク。謎の女性自身が生い立ちから現在までのことを細かく語っていく。印象的なのはクリシー大通りの朝方まで開いていた本屋/文房具屋のくだり。

そう、この本屋はただ単に一つの避難場所だっただけでなく、私の人生のなかのひとつのステップでもあった。閉店の時間までよく私はそこに残っていた。(中略)読み物を続けたままで、彼(店主)は私にこうささやいた。「どう?君の幸せが見つかった?」……(中略)今でもまだ、眠れないこんな夜、私にはときどきあの声が聞こえる。あのパリのアクセント――あの坂道の通りたちのアクセントで。「どう?君の幸せが見つかった?」

そして最後にジャクリーヌの恋人だったロランが、謎を残したままいなくなった彼女との最後の日々を語る。「だれかを本当に愛した時は、その人の謎も受け入れなくてはならない」ということばをかみしめながら。
(2013.3.14読了)
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by nishinayuu | 2013-05-21 09:45 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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