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『City』(アレッサンドロ・バリッコ著、草皆伸子訳、白水社)


c0077412_9412932.jpg『City』(Alessandro Baricco)
冒頭の場面はある出版社の一室。8人の女性が読者に電話アンケートをしていて、そのうちのひとりが十数分もアンケートとは関係のないおしゃべりをしている。彼女の名はシャツィ・シェル、おしゃべりの相手はグールドという少年。明日13歳になる、というグールドは、アンケートの内容に怒った友人がそちらに行って手当たり次第にものを壊したり、もしかしたら電話のコードであなたの首を絞めるかもしれない、と言う。友人のひとりは2メートル47センチもある巨人で、もうひとりは頭がつるつるで口がきけない子だという。グールドがしゃべり、シャツィもしゃべっているうちに10数分経ってしまう。これがシャツィとグールドの出会いで、そのあと電話アンケートの仕事をやめさせられたシャツィは、グールドの誘いで彼の家政婦になる。
グールドは6歳のときに、5人の大学教授からなる委員会のテストによって天才と認定され、小学校に通い始めて6日目にある大学の研究グループに放り込まれ、11歳で大学を卒業した。つまり子ども時代を持たない少年だった。母親はある日家からいなくなり、軍関係の仕事をしている父親も家を離れていて、週に一度、家政婦に様子を聞くために電話をしてくるだけ。ただし、本当はこのときまで家政婦はいなかった。口のきけない家政婦がいることにして、口のきけない友だちのプーメランを電話口に出していたのだ。しゃべれる人が黙っているのとは違う沈黙なので、父親は電話口に家政婦がいると信じていた。その家政婦はやめたことにして、シャツィを新しい家政婦したのだ。父親はシャツィが気に入ったようだ。
こうしてシャツィとグールドはいっしょに暮らし始める。グールドの友人、巨人のディーゼルと口の聞けないプーメランも大抵いっしょだ。車にも乗れず、列車の座席にも座れないので遠くに出かけたことのないディーゼルのために、シャツィとグールドはトレーラーまで買ったが、その黄色いトレーラーはずっと庭においてあった。車を買うお金がなかったせいもあるが、もっと大きな理由がある(それはずっと先まで読み進まないとわからない仕掛けになっているのです)。グールドが15歳になったとき、ある有名大学から研究に参加して欲しいという依頼が来る。父親は、これはテニスにたとえればウインブルドンに呼ばれるようなものだ、と言って喜ぶ。しかしシャツィはグールドに少年らしい生活をしてもらいたいと思っている。そしてある日、グールドは誰にもなにも言わずに姿を消す。シャツィはグールドの門出を秘かに悦び、自分もまた新しい道を歩き出す。

シャツィとグールドの物語とはなんの脈絡もなく、クロージングタウンを中心に繰り広げられるウエスタンの物語と、ラリー・ゴーマンというボクサーの物語が語られる。シャツィとグールドの物語は多くが会話で占められているので紙面に空白が多いのに対して、ウエスタンとボクサーの物語は切れ目のない文で紙面が埋め尽くされ、それが数ページも続いたりする。読み進むうちにわかってくるのだが、ウエスタンはシャツィがメモを取りながら書き続けている物語で、ボクサーのほうはグールドがトイレの中などで声に出して綴っている物語なのだ。1冊に3冊分の物語がぎっしり詰まった、とにかく読み応えのある本である。(2013.3.6読了)
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by nishinayuu | 2013-05-09 09:41 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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