『パンツの面目ふんどしの沽券』(米原万里著、筑摩書房)
2013年 02月 08日
といっても決してつまらないわけではなく、いろいろな知識、情報が満載の楽しくてためになる読み物である。例えば、ソ連時代の人びとは用便の後、紙を使わずそのままズボンをあげていたこと、下着を着けていない兵士たちのルパシカの裾が黄ばんでいたこと、工場生産の下着というものがなかったソ連の女性たちはショーツを手作りしていたこと、ポーランド製のレースつきのパンツや中国製の「友誼」印のパンツが貴重品だったことなどが、自他の体験談や各種の記録とともに紹介される。なんと手作りショーツの型紙まで添えられている。このように日本と東欧圏のトイレ文化の違いやパンツ・ズロース談義がしばらく続いたあと、明治期に日本を訪れたモースやビゴーが「ふんどし姿の男」の写真や絵をたくさん残しているという話から、男と女の下着の違い、もしくは類似へと話題が展開していく。
著者の始めのもくろみでは、パンツはグローバルなものでふんどしはナショナルな価値を持つもの、ということになるはずだった。ところが連載を続けるうちに、読者からの体験談やら専門家からの資料提供やらもあって、どうやらパンツよりもふんどしのほうがグローバルなものだったことが判明したという。話はさらに発展して、ヨーロッパ文化圏には「男はズボン、女はスカート」という固定観念が頑強に残っているが、この棲み分けが始まるのはごく最近のことであり、実に長い間、男女の下半身を覆う衣は同じ形状(スカート型)だったこともさまざまな例証とともに詳述されている。(2012.12.9読了)