『オリンポスの果実』(田中英光著、新潮社)


c0077412_9504664.jpg著者は1913年生まれの作家で、1949年11月に三鷹市禅林寺にある太宰治の墓の前で後追い自殺をしたことで知られる。この作品は1932年の第10回ロサンゼルスオリンピックに早大漕艇部の一員として参加した体験をもとにしたもので、主人公・坂本のモデルは田中自身、熊本秋子のモデルは走り高飛びの選手・相良八重。坂本は大男だったのと、選手団にもう一人坂本がいたことから、区別するために大坂(ダイバン)というあだ名で呼ばれている。
横浜港からロサンゼルスまで、ロサンゼルス滞在中、そして横浜へ帰港するまでの、単調でもありめまぐるしくもある日々が綴られている。印象的なのはまず、漕艇選手団の中の「いじめ」の構図である。体育会系の常というか、先輩による後輩への「いじめ」はじつに執拗でいやらしく、この作品の主題は「いじめ」ではないかと思うほどだ。もう一つ印象的なのは坂本の優柔不断で潔くない人柄で、坂本は秋子に惹かれていながら自分の気持ちをきちんと伝えることをしない。そのくせ秋子がこちらを無視しているように思えると面白くなく、逆に秋子が少し積極的な態度を見せると嫌悪感を抱いたりする。そして秋子の脚に産毛が生えているのを見ると、それをいやらしいと感じ、「男は隙だらけになった女のあらが丸見えになり、女が鼻につくそうです」などと言ってその場を逃げ出したりする。坂本はかなり陰険でうじうじしているのだ。極めつけは、自分から秋子に愛を告白するどころか、「あなたはぼくが好きですか」と心の中や手紙の中で何度も相手に聞いていることだ。大男だけれど気は優しくて、なによりも素直なのだ、と好意的な見方をすべきかもしれないが。
帰国後、坂本は兄の指導のもとで本格的な左翼運動に走っていく。母を捨てて地下に潜って工場へ、そこでストライキで捕まって転向、という「ヤンガア・ジェネレエション一通りの経過を経て」、オリンピックのよく翌年の春には狂熱的な文学青年になる。その後戦地で、「覚悟を決めた月光も明るいある晩のこと、ふとあなたへの手紙を書きましたが、やはり返事は来ませんでした。あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか」と書いた坂本には文学青年の憂愁が漂っていて、さすがにほろりとさせられる。(2012.11.4読了)
☆この作品は青空文庫で読みました。青空文庫の底本は新潮文庫(1951年発行、1991年52刷り改版)だそうです。
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by nishinayuu | 2013-01-06 09:52 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2013-01-08 23:30 x
体育会系から左翼運動に入るなんて珍しいんじゃないですか。現実を直視するのが嫌で妄想の世界に生きた人のようですね。
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