『맨발로 글목을 돌다』(공지영著)

c0077412_15383154.jpg『裸足で文章の路地を回る』(孔枝泳)
2011年の第35回李箱(イサン)文学賞受賞作品。
本作品は、『ポンスンオンニ』や『私たちの幸せな時間』とは趣が異なり、ルポルタージュか私小説のような雰囲気で始まる。後輩の記者の依頼を受けた「私」が、最近本を出したHを取材するため日本に旅立とうとしている。翌日の出立に備えて早く眠らなければならないのに眠りは訪れず、鋭い痛みが胸を突き抜ける。
「私」は過去に大きな苦しみと悲しみを経験していた。だからこそ、以前、Hと初めて顔を合わせたとき、彼の苦しみと悲しみがたちどころに理解でき、それを分かち合うことができたのだった。「私」は自分の経験したこと、Hの24年にわたる拉致体験、「ナヌムの家」の元従軍慰安婦の人生、アウシュヴィッツなどを語り、また『トニオ・クレーゲル』、『聖書』、プレーモ・レービの著作について語りながら、人間が不条理な暴力にさらされることの意味を探り、作家としてものを書くことの意味を見出していく。「運命に真っ向から対決するのではなく、運命を受け入れること、そして嵐に揉まれる船が、波風に立ち向かわず、波風に乗ってそれを超えていくような具合に運命と対決しよう」というメッセージが胸を打つ。

Hというのは北朝鮮に拉致されて24年をその地で過ごしたのちに帰還した人物で、「私」の本を翻訳した人物、すなわち蓮池薫さんである。彼が笑顔を作ったとき、目尻に小皺ができるのを見た「私」は「24年もの間完全に断絶した状況のなかで生きてきた人間が、いったいいつあんなに笑い皺ができるほど笑ったのだろう」、と不思議に思う。同じ作者の『人間に対する礼儀』という作品に、長期囚だった人の目尻の笑い皺を見て、語り手が同じ反応を示している場面がある。作者にとってよほど印象的なことだったのだと思われる。
ところで、「私」がHと会ったときの日本人記者たちとのやりとりが、かなり長々と挿入されている。ほかの部分とは雰囲気が異なり、不調和な感じさえするこの臨場感溢れる場面を作品に盛り込んだ作者の意図はなんなのだろうか。これに関する言及がこちらのサイトにあり、大いに参考になる。
(2012.10.30読了)
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by nishinayuu | 2012-12-31 15:40 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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