『The Secret Scripture』(Sebastian Barry著)


c0077412_10152338.jpgアイルランド出身の作家が2008年に発表した作品。アイルランドの近代史を背景に、一人の女性がたどった数奇な人生がミステリータッチで綴られていく。
「ロザンヌの証言」と「ドクター・グリンの備忘録」が交互に展開する形で物語は進行する。ロザンヌはロスコモン地方精神病院の最高齢収容者(100歳)であり、ドクターはここの院長である。ドクターがここに赴任してきた30年ほど前もロザンヌはすでに老人だったが、まだとても美しかったし、レクリエーション・ルームに置いてあるピアノを弾いたりしていて、クイーンのようだった。今はほとんど自室に閉じこもっているので、ドクターはたびたび彼女の部屋を訪れる。ドクターにとってロザンヌは歴史であり人生だからだ。それに、ドクターは自分がロザンヌに好かれていると感じている。
一方ロザンヌには、聖トマスに似ている(ヒゲとハゲの)ドクターの訪問が嬉しくもあり、ちょっと面倒でもあった。毎日少しずつ、自分の人生の記録を愛用のbiroのボールペンで綴っていて、それを秘密の場所に隠しているからだ。家族を愛し、人生を楽しむことを知っていた父親と美しい母の三人で過ごした子ども時代、運が傾いたあとも気丈だった父が急死して、母と二人だけで取り残された思春期、独立運動の高まりと弾圧の嵐の中でも花開いた青春。最後まで書き終えることができるか、ロザンヌは気が気ではない。記憶力が急速に衰えているのを自覚していたからだ。
ところで、ドクターがロザンヌのもとをたびたび訪れるのにはもう一つの理由があった。ロスコモン病院の建物が老朽化したため、新しい施設に移転することになったのだが、新しい施設のベッド数が少ないので収容人数を減らす必要が出てきたのだ。少しでも健康で精神的にも健全な者は社会に送り返すということになり、ロザンヌはその候補の一人になっていた。しかしロザンヌは大変な高齢であるし、これまで一度も親族の訪問がないのも問題だ。そもそもロザンヌはなぜこの施設に入っているのか、精神異常の徴候は全くないのに、と精神医学者のドクターは疑問に思う。こうしてドクターはロザンヌの人生経路をたどる調査に乗り出す。まずはロスコモンに移ってくる前、ロザンヌが最初に収容されたスライゴウの精神病院へ、そこで得た新たな情報をたどってイングランドの関連施設へ。こうしてドクターは、ロザンヌに過酷な人生を強いることになった人びとの人生も決して平穏なものではなかったこと、彼らの人生を呑み込んだアイルランドの歴史の流れは、それらの外に身を置いていたはずのドクター自身をも巻き込んで流れていたことを知ることになる。

☆Free Stater、Royal Irish Constabulary、IRA、英愛条約など、確認すべきことばや歴史事項が多くて悪戦苦闘しましたが、その甲斐のある素晴らしい作品でした。欧米ではかなり読まれているようなのに、日本ではまったく話題に上っていないのが残念です。(2012.10.17読了)
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by nishinayuu | 2012-12-19 10:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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