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『ボルドーの義兄』(多和田葉子著、講談社)


c0077412_10155171.png久しぶりに手にした多和田葉子の本。これまで読んできたこの人の作品は、圧倒的魅力で迫ってくるものと、どうしても入り込めなくて違和感ばかり残るものにはっきり分かれる。前者は『容疑者の夜行列車』『ゴットハルト鉄道』などで、後者は『犬婿入り』『球形時間』など。だから、新しい作品が目に止まってもすぐに飛びつくのはためらわれるのだが、この作品は読み始めてすぐ前者だとわかった。「言語の不思議なチカラ」と「文学の美しいタクラミ」が全編に漲り、脈打っている作品である。
ストーリーはといえば――ハンブルグで学生生活を送る優奈にはレネという年上の友人がいる。そのレネの勧めで優奈は夏の間、レネの「義兄」モーリスの家を借りることになる。そこで優奈はハンブルグ駅で列車に乗り込み、モーリスが駅で出迎えてくれることになっているボルドーに向かう――とまとめることができるだろう。
ただ、この作品の眼目はストーリーそのものではなく、全体がたくさんの断章で構成されていて、その断章一つ一つが味わい深いことばや詩のような文章で綴られていることだろう。それまでの優奈の人生で起こった出来事やそのとき抱いた思い、現在進行中の出来事や思い、などを時間の流れに関係なく綴るこれらの断章には、その断章のテーマとなる一つの漢字が鏡文字で示されている。いくつか例を挙げておく。

「仏(の鏡文字)」――フランス人の書いた本を持たずには電車にさえ乗りたくないというほどなのに、フランス語を習いたくないのはなぜなのかについて、優奈はハンブルグでは考えたことがなかった。ブリュッセル駅で、これまで姿を見せたことのないこの問がふいに優奈の目の前に現れた。ブリュッセルは目的地ではなく、途中で出てくる疑問のようなものだった。ブリュッセルで人は列車を乗り換え、自分自身を問い直すのだ。
「妊(の鏡文字)」――(優奈の友だちの)ヒルデと哲学教授は一人の子どもを共同製作し、その子は女の子としてこの世に生まれ、オリヴィアという名前をもらった。父と母では、この名前を選んだ理由が全く違っていた。だから本当は混乱しないように、オリヴィア・オリヴィアという二重の名前にした方がよかったのだ。
「貌(の鏡文字)」――優奈はソファーに腰を下ろし、ちょうど本を読んでいてページをめくった直後のように、まなざしをあらためて、あたりをみまわした。ランプもソファーも壁の絵も、さっきとは違って見えた。新しい住人に気に入られようとして、家が少しずつ変貌していく。優奈は息をつめてその変貌を見ていた。
(2012.8.4読了)
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by nishinayuu | 2012-09-26 10:16 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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