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『ヴェネツィアふたり暮らし』(マリーナ・デ・ブラージ著、小梨直訳、河出書房新社)


c0077412_957376.jpg『A Thousand Days in Venice』(Marlena de Blasi)
ふたりのうちの一人は料理人として、また雑誌記者としてフランスやイタリアを旅してきた米国女性。女手一つで育てた二人の子どもはすでに独立している。もう一人はヴェネツイアで生まれ育った銀行員の男性。ある日、ふと見かけた彼女の横顔に一目惚れして、まるでストーカーのように彼女につきまとい、ついには彼女のあとを追って、生まれて初めての飛行機でアメリカまで飛んでしまう。「人生の大半を寝て過ごしてしまった。気づいたんだ、時間は限られているって。そういう意味で人生は(銀行の)口座と同じ」だと。女性の方も、ひたすら走り続けてきた人生を振り返り、もう一度全く新しい生活を始めてみよう、と思うようになる。こうして若くはないふたりがそれぞれ気持ちを新たにして、ヴェネツィアふたり暮らしに踏み出す。
ことばの問題、価値・判断基準の違い、生活テンポの違いなどなど、様々な困難にぶつかるが、愛情と大人の智恵と潤沢な生活資金があれば、乗り越えられないものはない。毎日がまるでお祭りのように華やかに過ぎていくのだ。結婚して2年経ったクリスマスには、ふたりは次のような境地に達している。

彼がいなかったときの生活を思い出そうとするが、まるで見たはずの映画を思い出そうとしているようで、本当に見たのか、そんなときがあったのか判然としない。もっと若いころに知り合えればよかったと思う?そう聞くと、若いときには、きっときみを見つけられなかったよ、と彼は答える。それに、若いときの方が自分は歳寄りだった、とも。「わたしもそんな気がするわ」いいながら、わたしもいまよりはるかに歳老いていた頃の自分を、思い出している。

ことばの問題は、男性は英語が怪しく、女性はイタリア語が怪しいことから生じる。本書でははじめのうち、女性が相手のことばや周囲の言葉が聞き取れない場面で、聞き取れない言葉がイタリア語のカタカナ表記で示されていることが多い。訳者が大いに工夫した点だとは思うが、読者としてはこのカタカナ表記が実に煩わしい。たとえばこんな具合。

1.彼はラ・ミーア・アドレセンツァ・エ・スタータ・ヴェラメンテ・トリステ・エ・デューラ、思春期の頃は本当に……と語りかけてくる。
2.「スィ、クエスタ・エ・ア・ミーア・ファッチァ」彼はささやく。「そう、この顔だ。」

いずれも後半の「思春期の頃は本当に……」や「そう、この顔だ」だけで充分ではないだろうか。イタリア語の勉強になっておもしろい、と言えなくもないが。途中からこうしたカタカナ表記はだいぶ減って読みやすくなり、ふたりがエスペラント風のことばでしゃべっていたという言及で処理されている。(2012.7.31読了)
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by nishinayuu | 2012-09-23 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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