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『たった一つの父の宝物』(アンドレイ・マキーヌ著、白井成雄訳、作品社)

『たった一つの父の宝物』(アンドレイ・マキーヌ著、白井成雄訳、作品社)_c0077412_9384112.jpg『La Fille D’un Héros de L’union Soviétigue』(Andrei MAKINE)
副題に「あるロシア父娘の物語」とある。父親の名はイヴァン・ドミトリエヴィチ。17歳になったばかりの1941年の夏、ドイツ兵に襲われて燃え上がる村を抜け出し、パルチザンに加わった。赤ん坊だった弟のコルカを串刺しにして殺したドイツ兵の顔が、まだしっかりと目に焼き付いていた。その後軍隊に入って、11月には凍った塹壕から敵の戦車隊に目を据えていた。同志スターリンのためなら、手榴弾を持って戦車に飛び込むことにも意味がある、という信念があった。1942年のスターリングラード攻防戦のあと、イヴァンは「ソ連邦英雄 金の星勲章」を受賞する。「戦略上最重要方面への敵の進攻を食い止めた」という表彰のことばは、目の前で仲間が血まみれになって死んでいくという体験の前では虚しく響いた。しかし、イヴァンはその後の人生のさまざまな場面でこの勲章の恩恵を受けることになる。戦場で瀕死の状態で倒れていた彼が看護婦の目に止まったのも彼がソ連邦英雄だったからであり、戦後の社会で優先的に食料を手に入れることができたのも、彼がソ連邦英雄だったからだ。命を救ってくれた看護婦のタチャーナと結婚したイヴァンは、やがてモスクワ郊外の水力発電所建設現場で運転手の職を得た。そしてガガーリンが宇宙に飛び立った1961年の終わりには娘が生まれた。
オーリャと名づけられた娘は、戦争を知らない子どもたちとして育ったが、ソ連邦の英雄の娘であることが有利に働いてすんなり外国語学院に入学できた。1980年、モスクワオリンピックの時、外国語学院の3年次を終了したばかりのオーリャは、通訳として採用され、担当したフランス選手団の一人に誘われるままに彼のホテルの部屋で3晩過ごした。西欧のきらびやかな世界への憧れがそうさせたのだった。しかしこの事が組織委員会から中央委員会へと伝わると、オーリャは「西欧経済人を相手にする通訳」として働くよう命じられる。名目上は通訳であるが、実は西欧経済人のために夜の接待をしながら彼らの握っている秘密を探るのが任務だった。ソ連邦英雄である父親の名誉を傷つけないために、という理屈で命じられた任務だったが、オーリャはなんの抵抗もなく、むしろ喜々としてこの新しい仕事をこなした。
世の中はどんどん変わり、ソ連邦英雄の金の星勲章も意味のないものになっていった。そしてある日ついにイヴァンは、オーリャの本当の仕事がなんなのかを知ってしまう。しかもそのときオーリャが接待していた相手はドイツ人だった。

社会の激変の故にお互いに理解し合うことが困難な状況に追い込まれながら、それでも肉親として相手を想い合う父と娘を描いたこの作品は、1987年にフランスに亡命したマキーヌの処女作で、1990年に「ロシア文学の翻訳」と偽ってやっと出版にこぎつけたという(訳者あとがきより)。第3作でやっと本名で出版できるようになり、第4作の『フランスの遺言書』でゴンクール賞とメディシス賞を受賞してフランスの文壇で括弧とした地位を築いたマキーヌは、それからさらに3つの作品を発表している。nishinaの一押しは7作目の『ある人生の音楽』である。(2012.7.4読了)
Commented by マリーゴールド at 2012-08-25 18:58 x
父親の行動は理解しやすいが、娘のほうは理解しにくい。娘をどう描いているのかを読んでみたい。
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by nishinayuu | 2012-08-24 09:46 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

読書と韓国語学習の備忘録です。


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