『黒猫フーディーニの生活と意見』(スーザン・シェーファー著、羽田詩津子訳、新潮社)


c0077412_14393511.jpg『The Autobiography of Foudini M. Cat』(Susan Fromberg Schaeffer)
この作品は、野良猫として生まれ、試行錯誤の末に飼い猫としての生き方を体得した猫が、後輩の子猫のために書き記した自叙伝、という形になっている。語り手は雄の黒猫で、名前はフーディーニ。作者はこの名前を、子供のときに好きだったテレビ番組の登場人物である風変わりな科学者の名前から取ったそうだが、たいていの人がこの名前を聞いて思い浮かべるのは脱出王として有名だった奇術師ではないだろうか。また、猫が語る生活と意見、とくると『吾輩は猫である』のやけに分別くさい猫も思い出される。しかし、このフーディーニは、奇術や魔術が使えるわけでもなく、分別くささとも無縁の、ごく普通の猫である(と思う)。たとえば朝、空腹のフーディーニが飼い主の「あったかさん」を起こす場面は次のように描写されている。

わたしがどんなに大声でわめいても、彼女はベッドから出ようとしない。わたしは高いヘッドボードの上によじ登り、そこからどすんとベッドに飛び降りなくてはならなかった。これは最初のうちこそ効き目があった。(中略)そのうち、わたしが飛び降りても眠っているようになった。さらに、わたしが爪を出して、「あったかさん」の頬を軽くなではじめると……

知人の飼い猫は、ときたま知人が朝なかなかおきられないでいたりすると、しびれを切らして強烈な「ねこパンチ」を繰り出すそうだ。
上記のようにフーディーニは、はじめは警戒していた飼い主の女性に次第になじんで、秘かに「あったかさん」と名づけるまでになる。けれども「あったかさん」のパートナーで、フーディーニのことをいつまでも「狂暴な猫」としてしか認識できない男性のことは「疫病」と呼んでいる。ところで、猫は人間のことばが理解できるのに、人間のほうは猫語が全く理解できない、とフーディーニは言う。人間が猫と話をしているつもりでニャーニャーとかニャンニャンとか言っていることばを猫語に翻訳してみせたくだりは、いかにもという感じで笑える。べたべたの猫派の人には納得できないかもしれないが。
幼かった頃の悲しい思い出、人間と共に暮らす苦労と喜び、犬のサムとの友情と別れ、子猫・グレース・ザ・キャットのやんちゃぶりなどなど、味わいのあるエピソードが盛り込まれていて、特に猫に興味がなくても楽しめる。(2012.6.2読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-07-25 14:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://nishina.exblog.jp/tb/18267775
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< 『小鳥はいつ歌をうたう』(ドミ... 『舟を編む』(三浦しをん著、光文社) >>