『見えざる人』(チェスタートン著、直木三十五訳、青空文庫)


c0077412_13473014.jpg『The Invisible Man』(Chesterton)。
青空文庫の底本は平凡社の『世界探偵小説全集第九巻ブラウン奇譚』
画像は東京創元社版のものです。

建物の入り口で4人の人間が見張っていたにも関わらず、何者かが部屋に入って人を殺し、さらに死体も運び出して行った。まるで透明人間のようなこの犯人は、見えているのに見えない人間――心理的にいないも同然の人間だった、という話。
この犯人の服装が「赤や青や金づくめのかなり華美ななり」という具合なので、心理的盲点というトリックのおもしろさがいっそう際だつ。この犯人が見えない人間になり得るとしたらそれはイギリス社会が階級社会だからだ、さらには著者が社会の上層の裕福な人間だからだ、などの議論があるようだが、それはそれとして、今や古典的ともいえるトリックが楽しめる作品である。随所に見られる色鮮やかな描写もいいし、さりげなく登場して最後には大きな存在感を示すブラウン神父もいい。
ただし、である。直木三十五の翻訳には参った。原文が透けて見える文があるかと思えば、何が何だかわからない意味不明の文もあちこちにあるのだ。たとえば冒頭の文はこんな具合。

ロンドン・キャムデン町なる二つの急な街の侘しい黄昏の中に、角にある菓子屋の店は葉巻の端のように明るかった。あるいはまた花火の尻のように、と言う方がふさわしいかもしれない。なぜなら、その光は多くの鏡に反射して、金色やはなやかな色に彩どられたお菓子の上におどっていた。この火の様な硝子に向って多くの浮浪少年等の鼻が釘づけにされるのであった。あらゆるチョコレートはチョコレートそれ自身よりも結構な赤や金色や緑色の色紙に包まれていた。そして飾窓の大きな白い婚礼菓子は見る人に何となく縁の遠いようにも見えまた自分に満足を与えるようにも見えた。ちょうど北極はすべて喰(た)べるにいいように。こうした虹のような刺戟物に十一二歳くらいまでの近所の小供を集めるのは当然であった。

これにめげずに我慢して読んでいるうちに、だんだん変な訳にも慣れてきて、なんとか最後まで読めてしまった。内容の力だろうか。あるいは、読み手の忍耐力のおかげだろうか。(2012.5.13読了)
[PR]
by nishinayuu | 2012-07-10 13:47 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://nishina.exblog.jp/tb/18208983
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by マリーゴールド at 2012-07-12 22:35 x
直木三十五の文章を始めて読みました。自分のイメージを追いかけていく作家なのですね。読み手をあまり気にかけないスタイルですね。こういうスタイルが流行していた時代があるのかもしれませんね。
Commented by nishinayuu at 2012-07-13 09:58
「読み手をあまり気にかけないスタイル」という評はいいですね。評者の温かい人柄が感じられて。
<< 『城』(カフカ著、原田義人訳、... 『Cymbeline』(W. ... >>