『朝鮮語のすすめ』(渡辺吉鎔+鈴木孝夫-著、講談社現代新書)


c0077412_17393826.jpgずいぶん古い本だし、「すすめ」られなくてももうやっているし、と思いつつ、一頃愛読した鈴木孝夫と、有名だけれども今まで読む機会のなかった渡辺吉鎔の共著とあれば、目を通しても損はあるまいと思って読んでみた。第1章を鈴木孝夫、第2章から第5章までを渡辺吉鎔が担当している。
第1章は比較言語学の大家である著者が、初心者の初々しさで朝鮮語を学ぶ楽しさを語っていて好感が持てる。「しりとり」や「何は何だ」といった遊びの紹介も、朝鮮語に興味を持たせるにはいいテーマだと思う。ただし、「しりとり」は実際にやってみるとかなり難しく、掲げられている例の場合も、ミヨックのあとをどう続けるのかが問題だ。「ヨック」で始まる単語にするのか、「k」音で行くのか、どちらでもいいのか、いまだにわからない。多分、母音を含めた「ヨック」で続けるのだとは思うが、とにかく語彙が少ない初級や中級ではすぐに詰まってしまう高度な遊びである。
本書で最も興味深かったのが第3章の「日本語の特色と朝鮮語」である。助詞の省略、主語なし文、いいきらない表現、などの朝鮮語と日本語に共通する特色を挙げ、朝鮮語を知らない学者たちが欧米諸国の言語との比較だけをもとに、日本語は特殊な言語である、という結論を引き出しているのは誤りであると指摘する。さらに、それらの特色を日本人の性格や人間関係、美意識と結びつけることの非合理性、もしくは滑稽さも指摘する。朝鮮語と日本語は同じ言語現象を持っているが、だからといって同じ言語観を持っているわけではないことを、著者はさまざまな例を挙げて説く。そして、「主語なし文を美学とか美意識に結びつけようとする心情が、非常に日本的な言語観のように映り、興味深い」と言う。そしてこの章は次のような「日本語論への警鐘」のことばで締めくくられている。
「日本人がことばを通じて自分を見つめようとするならば、朝鮮語は必要不可欠で最適なモノサシである。このモノサシなしで、日本文化・日本人の特色を測ることを試みれば、欧米語との違いを日本語の特色と誤認し、その日本語の特色を日本文化の特質と無理やり関連づける、従来の日本語論の轍を踏むことは避け得ない。その結果、歪んだ自国語論・自国文化論から抜け出ることができないのはあきらかである」(2012.5.1読了)
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by nishinayuu | 2012-06-24 17:39 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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