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『トンケは来ないかもしれない』(金衍洙、文学トンネ)

c0077412_175423.jpg『똥개는 안 올지도 모른다』(김연수著,문학동네)
☆画像はこの作品が収録されている『내가 아직 아이였을 때』(문학동네)のものです。
☆トンケというのは雑種犬、駄犬というような意味で、この作品ではある若者の通称として使われています。強いて日本語にすれば、バカ犬、ノラ公、とんま、厄介者、などでしょうか。

作品の舞台は地方の小都市で、時代は1980年頃と思われる。その頃はまだ、人びとの繋がりが密で、隣近所が仲良く肩を寄せ合って暮らしていた。その分けんかやごたごたも多かったし、噂話もぱっと広がった。ある日、トンケが「あのとき」のジャックナイフを手にして近くに姿を現した、という噂が入ってきて、「ぼく」と仲間の子どもたちはショックを受ける。「あのとき」というのは、トンケの父親の葬儀のときだった。そもそもトンケは愛情に飢えた少年時代を送った。粗暴な父親と、下宿の経営で忙しい継母、その連れ子の妹二人、という家族の中で、一人孤立し、鬱屈していた。早くに悪事を覚え、少年院にも送られた。家に戻ったあと、不満をくすぶらせて閉じこもっていたが、ふとしたことで父親とけんかになり、父親を角材で殴って大けがをさせた。界隈の大人や子どもも目撃して衝撃を受けたこの事件の後、トンケは父親にお金を持たされて家から出た。その後しばらく、トンケについてあれこれの噂が流れたが、やがてトンケは小さな女の子を連れて戻ってきた。自分の権利として財産を分けてくれ、ということだった。ところが父親はトンケに負わされた怪我から立ち直れずに死んでしまう。そして葬儀の日。むっつりとして座り込んでいるトンケに誰かがお酒を飲ませたのがあだとなった。幼い娘の名を狂ったように呼び始めたトンケに、継母が、奥の部屋で寝ている、と教えると、トンケはそちらに向かって突進していった。そして事件が起こった。その界隈を震撼とさせた陰惨な事件だった。

物語の最後は「トンケは来ないかもしれない。でもトンケが来ようと来まいと、やっぱりぼくは怖い。20年たった今でもまだ」ということばで締めくくられている。「ぼく」が20年経ってもトンケが怖いのは、「あのとき」「ぼく」たちが、トンケなんか死んでしまえばいい、と思ってしまったことを自覚しているから、そしてそれをトンケも知っていると確信しているからではないだろうか。
物語の中心はトンケであるが、当時の小都市の雰囲気や人びとの暮らしぶりも伝わってくる味わいのある読み物になっている。大人たちがトンケのうわさ話をしている傍らで、子どもたちが「뱀 주사위」――蛇の出てくる双六遊び――をしている場面などは、双方の話が入り乱れて進行していくので、読み解いていくおもしろさも味わえる。
作者は1970年生まれ。「2001~2010年の10年で最高の韓国文学」に、金薫、朴玟奎とともに選ばれている(ハンギョレ21による若い評論家たちへのアンケート調査)。特に文章力が高く評価されているという。
(2012.2.6読了)
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by nishinayuu | 2012-05-16 17:06 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)
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Commented by マリーゴールド at 2012-05-18 04:08 x
少年少女文学だとトンケのような少年は逆境を乗り越えていくはずですが、ミステリーなどでは犯罪者というのがお定まりの位置でしょうか。この小説では共同体には受け入れられない存在のままなのでしょうね。おもしろそう!読んでみたいですね。
Commented by nishinayuu at 2012-05-19 10:59
『トンケ』は韓国語講座の先生が用意してくださったプリントで読みました。今、韓国で最も注目されている作家の一人だそうですから、そちらでは簡単に本が手にはいると思います。ぜひ読んでみてください。
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