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『蕪村へのタイムトンネル』(司修著、朝日新聞出版)


c0077412_10534278.jpg萩原朔太郎の『郷愁の詩人與謝蕪村』をはじめとする数多の蕪村研究書を駆使して「蕪村」に新たな光を当てるとともに、タイムトンネルの向こうにあった「ぼく」の青春時代を蘇らせた大作。菊判(多分)で470ページあり、ほとんどすべてのページにエピグラフのように俳句が掲げられている(1ページは業平の短歌、2ページは俳句も短歌もなし)。すなわち全部で467の俳句が並んでおり、そのうち457が蕪村の作品である。重複して掲載されている句もあるのでそれらを除くと、ほぼ450の蕪村の句が目に入る仕組みになっており、なかなか魅力的な構成ではある。ただし、各ページの内容と、そのページに掲げられている俳句の繋がりがすんなり理解できないものもある(繋がりがわかるかどうかが読み手の俳句理解度を測るバロメーターなのかもしれない……あなおそろし)。
1953(昭和28)年、「ぼく」が17歳の終わりごろだった。町にはいつどこから流れてきたのかわからない雹川(あられがわ)拓也という35、6歳の漫画家がいた。
「漫画家は故郷喪失者で、女にほれっぽくて、振られるために惚れる無駄骨折りが好きで、二重人格で、酒が入らなければ借りてきたねこみたいで、泥水度が上がりきってしまうと、別人になって、狂うけれど暴力は振るわず、日の当たるうちは外に出ず、暗くなると町を徘徊する、もう、どうしようもない屑男だったが、自由人だった。ぼくはその人に惹かれた。(中略)そして、ゲームのようにして彼から與謝蕪村の話を聞いたのだった。(中略)その頃のぼくは、蕪村という俳人のおもしろさも何も感じていなかったし、その場が楽しければそれでよかった。そよ風のように過ぎ去った雹川との時間が、六十を過ぎてから、ぼくの耳の奥で、枯れ草が風に吹かれるような音として聞こえてきたのだった。」
雹川の周りにはいろいろな連中が集まっていた。絵描きになる日を夢みながら映画の看板を描いていた「ぼく」、同じく看板描きをしていたツルオ、映画館のもぎりをしながら漫画を書いていた両腕のない葉菜さん、同じくもぎりの露子、チケット売り場の岩根はるさんなど、漫画や映画でつながっていた人たち。それから飲み屋にはママのセッチャン、食堂には楓さんと風ちゃん姉妹がいて、つけで飲み食いさせてくれた。風体は異なるがスナフキンのような雹川と、その雹川が信奉する蕪村に誰も彼もが巻き込まれて暮らしていた。(2012.3.12読了)
☆著者は、「蕪村に関して、朔太郎の『郷愁の詩人與謝蕪村』、小西愛之助氏、正統派の研究者尾形仂氏の考えを多く借りた」と言っています。朔太郎の本は高校の授業で紹介されて以来何度も、尾形仂の『蕪村の世界』はかなり前に一度だけ読みましたが、どちらもぜひ読み返さなくては、と思っています。
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by nishinayuu | 2012-04-28 10:53 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)
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Commented by マリーゴールド at 2012-05-01 05:07 x
467の俳句を集めるのも大変だと思いますが、それに合わせた文章を書くのも大変でしょうね。よほど俳句や与謝蕪村が好きでないとできない仕事ですね。読んでみたいですね。
Commented by nishinayuu at 2012-05-01 10:13
『蕪村へのタイムトンネル』は本当に楽しく読めた本でした。俳句をなさるマリーゴールドさんなら、なおのこと楽しめると思います。
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