『そんな日の雨傘に』(ヴィルヘルム・ゲナツィーノ著、鈴木仁子訳、白水社)


c0077412_10211099.jpg原題はEin Regenschirm Für Diesen Tag。著者は1943年、ドイツはマンハイムの生まれ。ドイツ最高の文学賞である「ビューナー賞」をはじめ、「フォンターネ賞」「クライスト賞」などを受賞している。
タイトルは、ある会食会で職業を尋ねられた主人公が酔った勢いで冗談に答えた、回想術と体験術の研究所を主催していて、そこに来る客は「自分の人生が、長い長い雨の一日のようで、自分の身体が、そんな日の雨傘のようにしか感じられなくなった人たちです」という部分から取られている。「そんな日の雨傘に」というのは主人公自身の心境なのだ。
46歳の主人公は定職のない独り者。定職がないのは「働くことによって心に葛藤が生じるので、やむなく働くのを避けている」からであり、独り者なのは長年いっしょに暮らしていた恋人のリーザがついに愛想をつかして出て行ってしまったからだ。リーザは12年の教師生活で神経がずたずたになって早期退職し、年金を支給されていた。その年金のおかげでリーザと主人公の生活が成り立っていたのだ。リーザが去った今は、高級靴メーカーから与えられる仕事が主人公の唯一の収入源だ。高価な靴の試作品を履いて街を歩き回り、その履き心地について報告書を書くと1足につき200マルクが手に入る(こんな仕事なら私もやってみたい!)。靴の試し履きのために、そしてほかには別にすることもないので、主人公はやたらに街を歩き回る。するとなぜかやたらに女性たちに出くわす。長い睫毛のグンヒルト、女優になり損なったズザンネ、ペットショップのドーリス、昔いっしょに仕事をしたレギーネなどだ。会いたくないのに出会ってしまう相手――昔の友人で今は恋敵のヒンメルスバッハ――もいれば、こちらから出向いて会わねばならない相手――アヴァンチュールの相手である美容師のマーゴット、靴メーカーのハーベダンク部長、新聞社の編集者メッサーシュミット――もいる。そんな中で主人公は人びとに、目に入るものに、聞こえてくる物音に、いちいち心を止めてあれこれ考える。考えている自分のことも考える。たとえば綿ぼこりが目に止まれば、自分の人生を形容するのに「綿ぼこり化」ということばがぴったりだと思う。「半分透きとおっていて、芯がふにゃふにゃで、見た目従順で、度外れになつきやすく、おまけに口数が少ない」からだ。チョコレートをチョコと短縮形で言った通りすがりの子どもにちょっと苛っとし、ゲシュトリュップ(藪)、ゲレル(瓦礫)、ゲレッシェル(かさかさ)、ゲシュルッペ(ピチャピチャ)、ゲシュラッペ(チャプチャプ)などのゲ音で始まることばに「人生の面妖さを感じる」という主人公は、見た目は無気力だがその精神活動は驚くほど活発だ。
「自分は人生に生半可にしか適応していない、だからうっかり誤ってこの世に生きているようなものだ」という主人公に大いに共感を覚えるとともに、そんな主人公が「逃れられない出来事のただ中にいながら逃れる」希望を見出す場面で締めくくった作者の優しさに拍手したい。(2011.12.26読了)
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by nishinayuu | 2012-02-24 10:21 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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