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『失われた時を求めて 13』(マルセル・プルースト著、鈴木道彦訳、集英社)

c0077412_10144887.jpgシリーズ最後の巻で、「見出された時」のⅡと索引が収められている。巻末のかなりのページ(全体の1/4)が割かれている全登場人物と引用された文学・芸術作品の索引は、この長大な作品の全体を見渡すことができる貴重な資料である。
語り手は長い不在のあと、久しぶりにパリの社交の場に顔を出す。その日、ゲルマント大公夫人の主催する午後の集いに出席した語り手が見たものは、仮装パーティーのような光景だった。真っ白な髪や口ひげを付け、頬はたるみ、動作は鈍って、まるで老人に「変装」しているような人びとを見て、語り手は彼らに時が流れたことに気づく。それはまた、自分にも時が流れたことを明らかにしていて、それが語り手を驚愕させる。変化したのは外見ばかりではない。語り手の旧知の人びとは、その人格や社会的立場もさまざまに変化した姿で立ち現れる。
そもそもゲルマント大公夫人とはかつてのヴェルデュラン夫人であり、ついに貴族社会に食い込んで、オリヤーヌことゲルマント公爵夫人とは従姉妹の関係になっている。そのゲルマント公爵夫人は逆に、新しもの好きと芸術好みのせいでかつての不可侵性を失ってしまった。もともと不誠実な夫だったゲルマント公爵は寄る年波でいよいよ邪な愛に走り、今は人生最後の愛人としてフォルシュヴィル夫人にべったりくっついている。かつてのスワン夫人であるフォルシュヴィル夫人はただひとり、語り手の前に若さを保ったまま立ち現れたと見えた人物だが、それから3年と経たないうちに急激に老化した姿をさらすことになる。
時はこのサロンのなかで、個々の人びとだけではなく、サロンという社会そのものにも化学作用を及ぼしたので、かつてはゲルマントという名前と調和しないすべてのものを自動的に排除していた一種の貴族的な先入観とスノビズムの混じったものは、もう機能しなくなっていた。今やゲルマント家のサロンには以前なら決して近づけなかったような人びとが入り込み、くつろいだ親しさで迎えられていた。その中には語り手の旧友のブロック、サン=ルーに囲われていたモレル、サン=ルーが愛した娼婦のラシェルなどもいた。サロンの人びとが彼らを重要人物として注目するようになっていたのである。この日の集いでヴィクトル・ユゴーとラ・フォンテーヌの詩句を朗誦したラシェルは、かつて彼女に手ひどい侮辱を与えたのを忘れて彼女に近づいてきたゲルマント公爵夫人を受け入れた一方で、病と失意の中にいるかつての大女優のベルマには陰湿な仕返しをする。
ゲルマント公爵夫人がラシェルに肩入れするのは、夫の死をあまり嘆いていないように思えるサン=ルー夫人ジルベルトへの反感からだった。当のジルベルトは、若い娘を紹介して欲しい、という語り手の頼みに対して、自分の娘を紹介する、と答える。そのことばはたちまち語り手に過ぎ去った「時」の観念をもたらす。サン=ルー嬢に到る道、彼女の周りに放射状に広がる道は、語り手をたくさんの道へと導く――彼女の父親を通じて「ゲルマントの方」やバルベックで過ごした数々の午後へ、彼女の母親を通じて「スワン家の方」とコンブレーで過ごした夕べへと。そしてこの二本の道の間にもたくさんの横道があり、それらの横道にも新たな横道があって、それらは豊かな思い出の編み目を成している。
コンブレーでスワンを送っていく両親の足音、スワン氏が帰っていったことを告げる門の小さな鈴の音が、今も語り手の耳に聞こえていた。その鈴と現在の瞬間との間には無限に広がる語り手の全過去があった。自分でも知らずに所有していた巨大な時をつなぎ止めるために、今こそ一冊の本を書く仕事を始めねばならない、という語り手の決意が表明されて、長い物語は締めくくられる。(2011.12.11読了)
☆午後の集いでジルベルトが語り手に声をかけた時、語り手はすぐにはジルベルトだとは気づかずに「ふとった婦人」と認識している。しかし、キース・ヴァン・ドンゲンの描いたジルベルトとサン=ルー嬢の画では、ジルベルトも16歳の娘と同じくらいほっそりと(9頭身くらいに)描かれている。
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by nishinayuu | 2012-02-12 10:14 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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