『Magic Hour』(Kristin Hannah著、 Ballantine Books)
2011年 12月 12日
米国西海岸最北部のワシントン州に位置するオリンピック・ナショナル・フォレストは、美しい自然と深い闇を抱えた広大な森である。その森の中からある日、がりがりに痩せた5、6歳の女の子が現れる。町の警察に保護、というより捕獲されたその少女は言葉も通じず、身元についての手がかりもなかった。少女の身柄を預かることになった町の警察署長のエリーン・バートンは、精神科医の妹ジュリア・ケイツに協力を求める。子どもを対象とする精神科医のジュリアは、担当していた患者が殺人事件を起こしたことから犠牲者の親たちやマスコミに糾弾され、それまでの名声も失って精神的にどん底の状態だった。そんなときに姉から声をかけられたジュリアは、マスコミから身を隠すつもりで故郷の町に戻ってくる。子どもの頃から美人で人気者だった姉に対して、妹のジュリアは目立たない陰のような存在だった。姉はそのまま地元で警官になり、妹は外の世界に飛び出して才能を開花させた。ジュリアは町とは縁を切ったつもりだったのだ。しかし今、挫折を味わい、世間の目を怖れていたジュリアにとって、自分を信頼して呼んでくれた姉は心を許せる味方だった。こうして二人は森から現れた少女の身元を明らかにするために、そしてなによりもこの少女をこの世界の一員にするために、緊張と不安の日々を送ることになる。
ジュリアはやがてこの少女をアリスと呼ぶようになる。ジュリアが『不思議の国のアリス』を毎日少しずつ読み聞かせているうちに、少女がこの本を気に入って、前に読んだページを開いて催促するようになったからだ。最初はベッドの下に隠れていたアリスがジュリアの目を見るようになり、ジュリアの真似をしてトイレを使うようになり、ジュリアに少しずつ近づくようになり、やがてジュリアの手に触れるようになり、本を読むことをせがむようになる。そしてある日、ジュリアのことばをかなり理解できるようになっても強いトラウマのせいで声が出せなかったアリスが、ついにことばを発するときが来る。アリスが初めてジュリアに言ったことばは「ここにいて」と「んねがい(おねがい)」だった。ジュリアが精神科医としての力量を世間に再認識させるための必須条件は、アリスを話せるようにすることだった。しかし、初めてことば発したアリスを感極まって抱きしめたジュリアは、精神科医のジュリアではなかった。毎日片時も離れずにアリスの世話をし、アリスの怖れや悲しみ、喜びや希望をともに感じるようになっていたジュリアは、いつの間にかアリスの母親になっていたのだ。
このまま「めでたしめでたし」となるわけではないが、表紙のイラストからハッピーエンディングであることはじめからわかっているし、極悪人は登場しない(というかちょっと触れられるだけで登場させてもらえていない)ので、主人公たちとともに悲しみ、ともに喜びながら読み終えることができる。もう一つ付け加えれば、物語の舞台となっているこの田舎町がなんともすばらしい町なのだ。エリーンの仲間の警察官たちをはじめ、アリスの主治医であるマックス、町の人びとなど、だれも彼もがアリスとジュリアを温かく包みこんでいる。(2011.9.30読了)