『シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々』(ジェレミー・マーサー著、市川恵里訳、東京創元社)


c0077412_1084278.jpgオタワ生まれのジャーナリストである著者(1971~ )がパリの書店で経験した2000年初頭から数ヶ月の間の出来事を記録したノンフィクション。
ジェレミーは新聞記者をしていたとき、情報提供者との約束を破って著書で彼の実名を出したため、彼から「殺すぞ」と脅迫され、国を逃げ出し、たどり着いたパリでホテル住まいをしていた。持ち金も底をつき、食べるものにも事欠くようになったとき、作家や詩人を無料で泊めてくれるというユニークな書店「シェイクスピア&カンパニー」の存在を知る。セーヌを挟んでノートルダム寺院と向かい合う書店を訪れたジェレミーは、書店の主ジョージ・ホイットマンに「自伝」を提出した結果、作家であると認められて受け入れてもらえることになった。2000年1月のことで、そのときジェレミーは29歳、書店主のジョージは86歳だった。
この書店は1951年にル・ミストラルの名で文学者たちの非公式なクラブハウスとして出発し、1964年、シェイクスピア生誕400年の年に店名を「シェイクスピア&カンパニー」に改めた。かつてシルヴィア・ビーチが経営し、パリに集う多くの文学者たちのよりどころとなっていた書店の名前と趣旨を引き継いだのだ。ジョージの「見知らぬ人に冷たくするな、変装した天使かも知れないから」という信念によって運営されるこの書店は、「だれもが必要なものを取り、与えられるものを与えることのできる場所」であり、書店の形をとった社会主義的ユートピアなのだった。
書店の中はどの部屋も古書や稀覯本から一般書にぞっき本まで、ありとあらゆる本であふれかえっていたが、書棚と書棚の隙間に滞在者のためのベッドが据えられていた。滞在者には作家としての仕事をすることの他に、一日一冊の本を読むこと、清掃をはじめとする書店内の仕事を手伝うことが要求された。しかし書店内は清潔と整理整頓とはほど遠い状態で、満足なトイレもシャワーもないために滞在者たちは薄汚れた格好でうろうろし、台所にはゴキブリがうようよいた。
滞在者たちは、鼻息の荒い映画青年のカート、共産主義中国に反感を持つウイグル人のアブリミット、生真面目なイギリス青年のルーク、短期滞在が原則なのに5年も滞在しているうらぶれた詩人のサイモンなど。彼らは安い食べ物を求めて歩き回る傍ら、文学を語り、夢を語る。そこにカウンター係のイヴ、ソフィー、ポーランド美人のマルシュカ、ニュージーランド大使館のシェフ・ゲイルらの若い美人たちも絡んで、てんやわんやの日々が展開していく。ユニークな登場人物たちの中にあってとりわけユニークなのが主のジョージで、寛大であるかと思えばいやに厳格になり、徹底して節約する一方で店内のあちこちにお札やコインを放置して忘れてしまう、かなり支離滅裂で気まぐれな人物である。そんなジョージになぜか気にいられたジェレミーは、彼のアシスタント兼相談役のような形になって手伝ううちに、彼の考え方や途方もないヴァイタリティーに感銘を受けると同時に、彼の弱さや悲しみも知るようになる。そしてジェレミーはジョージのために、また「シェイクスピア&カンパニー」の将来のために、一肌脱ぐことになる。最後は、沈んでいく夕日を眺めながらジョージがジェレミーに語る次のことばで締めくくられている。
「この店はノートルダムの別館なんだっていう気がときどきするんだ。あちら側にうまく適応できない人間のための場所なんだよ」(2011.9.16読了)
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by nishinayuu | 2011-12-06 10:08 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)
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Commented by マリーゴールド at 2011-12-07 19:36 x
目の出ない芸術家を大切にする伝統を感じますね。
Commented by nishinayuu at 2011-12-09 14:11
この本は装丁に惹かれて手にとりましたが、中身もとてもすてきな本でした。ところでこの書店は知る人ぞ知る有名な書店なのですよね。手許の旅行案内書の地図にもちゃんと出ていることに今回初めて気がつきました。
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