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『バルカン超特急』(エセル・リナ・ホワイト著、近藤三峯訳、小学館)


c0077412_103364.jpgイギリス時代のヒッチコックの最高傑作とされる映画(1938年制作)の原作である。
身よりはいないが裕福なイギリス人の若い女性アイリスは、バルカン半島にある美しい村でバカンスを過ごした。取り巻き連中の傍若無人な言動は同じホテルの客たちの顰蹙を買っていたが、その仲間たちは一足先に帰国の途についた。ホテルに残ったアイリスは、ひとりで残りのバカンスを楽しむつもりだったが、他の客たちから見ればアイリスも傍若無人な若者の一人である。アイリスはそんな人びとの中で孤立感を深め、予定を早めて帰国することにする。鉄道の駅で暑い日差しを浴びながら国際列車を待っていたアイリスは、突然頭に強い衝撃を受けて気を失う。それでもぎりぎりのところで意識を取り戻したアイリスは、どうにか列車に乗り込むことができた。気を失っていた間アイリスと荷物を見守っていたポーターが無理やりコンパートメントに押し込んでくれたのだ。
そこには家族連れ(父親、母親、子ども)と、でっぷりした夫人、微動だにしない若い女性、そしてなんとも印象の薄い中年女性がいて、それで満席だったところへアイリスが割り込んだのだった。コンパートメントの外の廊下もびっしり人が立っていて息苦しかった。窓を開けてほしかったが、アイリスは現地語を話せず、他の乗客は英語を理解しなかった。せめて外の空気を吸おうとコンパートメントを出ると、中年女性も出てきて、英語で話しかけてくる。コンパートメントの中では他の人に遠慮して黙っていたらしいこの女性は、ミス・フロイと名乗り、ヨーロッパのあちこちに出かけては家庭教師をしていること、父母と愛犬が待っている故郷に向かっていること、でっぷりした夫人は男爵夫人でこの地方の有力者であることなどをアイリスに語る。
隣のコンパートメントには全身を包帯でぐるぐる巻にされたけが人がいて、ドクターと看護婦が付き添っていた。また、ホテルに残っていたはずの客たちが、なぜか急に帰国を思い立って、全員同じ列車に乗っていた。それらの人たちや乗務員たちと顔を合わせ、言葉を交わしたりしながら、ミス・フロイとアイリスは食堂でお茶を飲んで席に戻ってくる。そしてアイリスがちょっと眠っていた間に、ミス・フロイがいなくなる。目をさましたアイリスが探し回り、尋ね回ると、だれもが異口同音に「そんな人は見ていない」と言う。ある人はアイリスが日射病(先刻の衝撃はアイリスにそう説明される)のせいで幻覚を見たのだと言う。そのうちアイリス自身も自信がなくなってくる。確かに頭はぼうっとしているし、周囲から浮いてしまうのはいつものことだからだ。そんなアイリスを心配して土木技師の青年ヘアが手をさしのべるが、彼もアイリスの話を信じているわけではない。しかしアイリスは、ミス・フロイは確かに列車のどこかにいて、決定的な事がトリエステで起こるはずだ、と察知する。そんなアイリスに魔の手が伸びてアイリスが朦朧としている間に、列車は刻々とトリエステに近づいていく。
冒頭部分のホテルの場面やら、アイリスが散歩の途中で道に迷ってしまうところやらは、始めは何となくむだな場面のように思われるが、読んでいくうちにアイリスが孤軍奮闘しなければならなくなる状況の伏線だとわかる。ミス・フロイの両親のエピソードも本筋とは関係ないが、イギリス文学らしい味付けとして楽しめる。

映画には原作にはない奇術師一座が登場し、この一座の人びとと乗務員、ドクターなど全員がスパイ団の一味で、ミス・フロイも彼らに対抗するイギリスのスパイ、という設定になっていて、原作とはかなり趣が違うようである。(2011.9.1読了)
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by nishinayuu | 2011-11-21 10:03 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)
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Commented by マリーゴールド at 2011-11-22 20:54 x
自分の体験や記憶が周囲から否定される主人公が事件に巻き込まれていくというパターンはヒッチコック映画でよく見ますが、これもそうなのですね。結末がなんとなくわかっていても読みたくなるのがミステリーですよね。
Commented by nishinayuu at 2011-11-24 00:32
そうそう。結末がなんとなくわかっていたほうが安心して読んだり見たりできる、という場合もありますしね。
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