『贖罪』(イアン・マキューアン著、小山太一訳、新潮社)


c0077412_20441329.jpg田園地帯の広大な屋敷に住むタリス家の次女ブライオニーは作家を夢みる13歳の少女だった。久しぶりに家に帰ってくる兄のリーオンを、自作の劇で歓迎しようと待ちかまえている。姉のセシーリアは、家政婦の息子で自分と同じケンブリッジ大学で学んだロビー・ターナーが、大学でも家に帰ってからも自分の方を向いてくれないことにいらだっている。しかしロビーはセシーリアに惹かれていて、その思いをぶつけた走り書きを記す。それは秘かに破り捨てるつもりで書いたものだったが、セシーリアに届けるべき別の手紙と間違えて、ロビーはそれをブライオニーに託してしまう。そのおかげでセシーリアとロビーは互いの気持ちを確かめ合うことができたが、ブライオニーは決定的にロビーを誤解してしまう。ブライオニーの思いこみは、彼女が目撃したある事件によって強化され、ロビーは不名誉な罪を着せられて投獄される。将来の夢も希望も一瞬にして失ったロビーは、のちに志願兵として戦場に赴く。そんなロビーの無実を信じるセシーリアはブライオニーはもちろん、ロビーを信じようとしなかった家族とも縁を切ってしまう。ここから、自分の思いこみと一途な正義感が、一人の青年の未来を打ち砕き、恵まれた家庭の平和も破壊してしまったことに対するブライオニーの贖罪の人生が始まるのだ。
『時間の中の子供』『愛の続き』『アムステルダム』に続いて私にとって4冊目のマキューアンである。一冊目の『時間の中の子供』は出だしの部分に襲撃を受けて、読み始めたら最後まで読む、という主義に反して放り出したくなったのを、我慢して最後まで読んだら意外によい作品だった。2作目、3作目と少しずつマキューアンになじんできて、久しぶりにこの作品を読んだのだが、禍々しいことが起こりそうなことを匂わせる文章が顔を出すたびに、『時間の中の子供』を思い出して、胸がざわざわした。やはりマキューアンは苦手だ、という思いを新たにした作品だった。ただ、小節の最後に思いがけない「仕掛け」が仕込まれていて、やはりマキューアンはただ者ではない、と思わせられた。
訳者のあとがきによると、初期のマキューアンは猟奇殺人、近親相姦、幼児性愛、人と獣、さらには人と人形の性愛など、挑発的な作品によって世に知られていた、という。初期の作風(あるいは作家のもともとの気質)が、この作品のあちこちに顔を出しているようで、納得できる記述である。(2011.8.25読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-11-09 20:44 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://nishina.exblog.jp/tb/17074682
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< 『日本語が滅びるとき』(水村美... 『失われた時を求めて 9』(マ... >>