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『わたしたちが孤児だったころ』(カズオ・イシグロ著、入江真佐子訳、早川書房)


c0077412_9565934.jpgWhen We Were Orphans(Faber & Faber、2000年)の全訳。カズオ・イシグロの5作目の長編小説である。
1923年の夏、ケンブリッジ大学を卒業した語り手/主人公のクリストファーはロンドンのケンジントンに居を定める。それから7年後の1930年、クリストファーはいくつかの難事件を解決した探偵として世に知られる存在になっている。その間に上海の租界で暮らした子ども時代や両親の思い出は薄れていき、ついには朧気なイメージしか浮かばなくなっていることに気がついたことから急に過去のことで頭がいっぱいになり始める。
クリストファーは10歳まで上海の租界で育った。穏やかで優しい父の勤め先は、インドからアヘンを輸入して中国にアヘン中毒を蔓延させていた。そんな会社の社宅に住みながら反アヘン運動に身を挺していた母は、美しく、キリッとした人だった。当時クリストファーは、隣に住む日本人のアキラと仲良しで、いつも二人だけで遊んだ。ある日、父の姿が消えた。警察の捜査が行われ、クリストファーとアキラの遊びに父親探しの「探偵ごっこ」が加わった。そしてある日、母の反アヘン運動の同志であり、クリストファーにとっては父に代わるような存在だったフィリップおじさんに遠いところに連れ出されたクリストファーが家に戻ってみると、母親の姿が消えていた。クリストファーは英国の伯母のもとに引き取られ、伯母の亡くなったあとはその遺産で勉学を続けたのだった。
1937年の秋、極東は今や世界の危機の心臓部となっていた。このとき長年の懸案だった両親捜しにやっと目途がついて、クリストファーは上海を訪れる。そして両親が幽閉されている建物の位置を探り出したクリストファーは、探索の途中で巡り会ったアキラとともに戦闘地区の瓦礫の中を突き進む。危険のまっただ中にありながら、その探索はどこか昔二人でやった「探偵ごっこ」の再現のようでもあった。そもそも、いなくなってから20年以上も経つ両親がまだ同じところに幽閉されているなどということがあり得るだろうか。それに、日本軍人の姿をしている男はほんとうにアキラなのだろうか。

読んでいる間ずっと、タイトルが「わたし」ではなく「わたしたち」となっているのはなぜなのか気になっていた。物語にはクリストファーの他に二人の孤児が登場する。なりふり構わず庇護者を求め続けるサラ・ヘミングズと、海難事故で両親を亡くしてクリストファーの養女になったジェニファーである。しかし、クリストファーとこの二人を同等のものとして一つに括り「わたしたち」とした、とは思えない。あくまでも物語の主人公はクリストファーだからだ。読み終えるころになってやっとわかった。「わたしたち」は3人の孤児を含めたすべての人びとなのだ。クリストファーの両親も、フィリップおじさんも、アキラも、そして英国人も日本人も中国人も、みんなある日突然世界の荒波の中に放り出された孤児だったのだ。人はだれでも遅かれ早かれ、ひとりの孤児として生きていかねばならないのだから。(2010.8.19読了)
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by nishinayuu | 2011-11-03 09:57 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)
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Commented by マリーゴールド at 2011-11-08 18:26 x
自分探しの旅もこれだけなぞが多いとおもしろいし、やりがいがありますね。
Commented by nishinayuu at 2011-11-08 18:32
カズオイシグロの作品は今のところ全部好きです。『日の名残り』は映画もよくできていました。まだでしたら、ぜひいつかご覧になって下さい。
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