『木曜の男』(G.K.チェスタトン著、吉田健一訳、創元推理文庫)
2011年 09月 26日
地下は無政府主義者の要塞だった。 彼らの代表者会議は議長の日曜をはじめとして曜日名で呼ばれる7人からなり、この日は空席となっていた木曜を新たに選出することになっていた。グレゴリーはその木曜に選ばれる手はずになっていたので、それによって自分が本物の無政府主義者であることをサイムにわかってもらえる、とワクワクしていた。ところがこのときいきなりサイムがグレゴリーに、実は自分は警察の回し者だ、と身分を明かす。そして会議の席で演説をふるってグレゴリーを圧倒し、木曜の位置を手に入れてしまう。
全体の1/4ほどまでのここまでの展開も奇想天外だが、その後はさらに荒唐無稽というか不条理というか、そんな世界が繰り広げられていく。あらすじは書ききれないので、心覚えのために無政府主義会議のメンバーの特徴を記しておく。
日曜:ヨーロッパ無政府主義中央会議議長。大きすぎて目に入らないほど山のように大きな男。
月曜:中央会議の書記。笑みが右の頬を上ってから左の頬を下る、という歪んだ笑顔の持ち主。
火曜:ポーランド人。名前はゴゴル。早い段階で警察のスパイだとわかり、会議を追放される。
水曜:サン・テュスタッシュ公爵。フランスのカレーでサイムと決闘する。
木曜:主人公。詩人。
金曜:ウォルムス教授。今にも死にそうな老人のくせに、信じがたい俊足でサイムを尾行する。
土曜:医者で名前はブル。黒眼鏡をかけ、感じの悪い若さを持った男。
巻末の解説に「著者の父親は水彩画、模型製作、写真、彩色ガラス、透かし彫り細工、幻灯、中世紀装飾などに余技を示すとかい趣味豊かな人物であった。これが直接チェスタトンの絵画への嗜好に受け継がれたわけである」とあるように、全編が幻想と美しい色彩に溢れた映画作品のような雰囲気の作品でもある。(2011.7.7読了)
☆5章「恐怖の饗宴」の最後の方に次のような文章があります。「何でも誇張して考えたがるサイムにとっては、テームズ川に沿って月光を浴びて寒々しく光っている建物が、月の世界に聳える山脈のように見えた。しかし月が詩的であるのも、月の中に兎がいると考えられているからである。」
ヨーロッパでは月の模様を男や女の横顔や立ち姿などに見立てるのが一般的だと思っていましたが、兎に見立てる例もあるのでしょうか。この部分だけなんとなく東アジア的な感じがして気になります。
「木曜の男」、わたしも大好きです。その荒唐無稽で不条理な展開が、いいですよね。それからもちろん吉田健一の訳文も、独特で、ちょっとたまりません^^