『カブールの燕たち』(ヤスミナ・カドラ著、香川由利子訳、早川書房)


c0077412_21282265.jpg1996年、アフガニスタンの首都カブールは過激なイスラム原理主義者集団・タリバンの支配下に置かれた。極端なイスラム法――女子校は閉鎖する、女は外で働いてはいけない、女は外出時に全身を覆うチャドリを着なければならない、サッカー、テレビ、音楽などいっさいの娯楽は禁止する、(『カイトランナー』に鮮やかに描かれているあの)凧揚げも天への冒涜に当たるので禁止する、などなど――が布告され、市民から「当たり前の生活」を奪い去った。
老人と子どもと物乞いが溢れ、至るところで宗教警察が目を光らせているカブールの片隅で、夢も希望もなく日を送っている二組の夫婦がいた。アティク・シャウカトと妻のムサラト、そしてモフセン・ラマトと妻のズナイラである。裕福な家庭で育ったモフセンも、名士の娘で女性解放のために戦う司法官だったズナイラも、今は職を失って、息を潜めるようにして暮らしている。アティクは公開処刑を待つ女囚たちを収容する拘置所で、臨時雇いの看守をしている。ソ連軍との戦いのとき、負傷して置き去りにされた彼を献身的に看病してくれた、命の恩人であるムサラトは今、不治の病に冒されている。職場には死刑囚、家には死の床にある妻、という毎日に疲れ果てているアティクに、妻を捨ててしまえ、と忠告する人もいるが、アティクはそこまで非情にはなれない。そんなアティクのもとに、ある日新しい死刑囚が送られてくる。夫殺しの罪で公開処刑されることになったズナイラだった。チャドリを脱いで瞑想に耽るズナイラの姿を見たとき、アティクはその美しさ、神々しさに打たれ、陶然となる。アティクの話を聞いたムサラトは、アティクが初めて人間らしい感情を持ったことを祝福し、心を開いて彼女と新しい道を進みなさい、と言う。そして公開処刑の日、チャドリに身を包んだムサラトが拘置所に姿を現し、「あの人は死なないわ。彼女はあたしがあげられなかったものを全部くれるわ。(あたしは)死んだら、生きているよりずっと役に立てるのよ。お願い。やっとあなたに運が向いてきた。それをむだにしないで」と言う。こうしてズナイラに扮したムサラトは死刑囚として引き立てられていき、ズナイラは処刑を見物に行く拘置所関係者の家族たちといっしょに、小型バスで公開処刑の行われる競技場へと運ばれる。

ひとりの女が公開処刑される場面で始まり、競技場での公開処刑でクライマックスに達したあと、気がふれたように街をさまようアティクの姿で終わる、なんとも凄絶な小説である。善良ではあるがどこかひ弱な夫たちに対して、じっと堪えることを知っている妻たちの精神的な強さが印象的で、特にムサラトの崇高な愛が光彩を放っているが、このムサラトの愛も結局アティクを救うことはできなかったのである。ハッピー・エンディングではないところが、リアリティーがあっていい。
作者は1955年にアルジェリアで生まれた、本名をムハマド・ムルセフールという男性。ヤスミナ・カドラは彼の妻の名で、アルジェリア軍の将校時代に執筆活動を始めたため、軍の検閲を逃れるために用いたペンネームだという。(2011.6.15読了)
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by nishinayuu | 2011-09-17 21:32 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)
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Commented by マリーゴールド at 2011-09-23 14:25 x
追い込まれた場面での人間の醜さや弱さはどこにでも転がっている。しかし人間の強さや優しさを描くことはむずかしい。残酷な選択を強いる現実がなによりも恐ろしい。こういう本を描ける作家の精神力に脱帽!!
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