『男どき女どき』(向田邦子著、新潮社)


c0077412_12303848.jpg読書会「かんあおい」2011年6月の課題図書。
タイトルの「男どき女どき」は、『風姿花伝』の「花伝第七別紙口伝」の終わりのほうにある次の言葉からとられている。
【また、時分をも恐るべし去年盛りあらば、今年は花なかるべき事を知るべし。時の間にも、男時・女時(おどき・めどき)とてあるべし。いかにすれども、能にも、よき時あれば、必ず悪き事またあるべし。これ力なき因果なり。】
すなわち、「男どき」とは運のいい時、ついている時のことで、「女どき」はその逆についていない時、めぐり合わせの悪い時のことである。
全体は5部構成になっており、Ⅰは小説集、Ⅱは小説と旅行記、Ⅲ~Ⅴはエッセイ集である。
Ⅰの『ビリケン』――駅までの道の途中にある果物屋のおやじに、石黒は秘かにビリケンというあだ名をつけていた。石黒がちらりと見るとビリケンのほうもじろりと見返す。それが毎朝の習慣になって5年程たった頃、ビリケンが病気で死んでしまう。そのあとでふとしたことからビリケンが神田の古本屋の息子だったことがわかる。石黒は学生時代にその古本屋で万引きをして主人にしぼられたことがあり、その恥ずかしい場面を当時やはり学生だったビリケンに見られたことを思い出す。ビリケンがじろりと睨んだのは、あのときの石黒を覚えていたからなのか。ビリケンが残した日記にはそのことが記されているのではないか、と石黒は悩むのであるが……(後略)。――「ビリケン」ということばに昭和を感じる。
Ⅱの『鉛筆』――ケニアのルドルフ湖上の筏に立つ少年の脚と、アンコールワットで観光客の足元を懐中電灯で照らして20円から30円のお金を得ていた少年たちの脚。一方はチョコレート色で、もう一方はくすんだ色だったが、いずれも鉛筆のように細かった、という印象的な旅行記。
Ⅲの『私と職業』――「一日に一つ、自分で面白いことを見つけて、それを気持のよりどころにして、真剣半分、面白半分でテレビの脚本を書いている」という文の「面白半分」の使い方が面白いけれども、正しくはなんと言うべきか、しばらく考えてしまった。
Ⅳの『反芻旅行』――「旅も恋もそのときも楽しいが、反芻はもっと楽しいのである」ということばに続いて、「ところで、草を反芻している牛はやはり、その草を食べたときのことを思い出しながら口を動かしているものであろうか」とある。牛の気持ちまではわからないが人間の場合は、例えば口に戻ってきた薬のカプセルなどをうっかり噛んでしまうと酷い目にあう。(普通の人は反芻しない?)
Ⅳの『アンデルセン』――アンデルセンがパン屋だと思っている若者に、「アンデルセンやグリムの童話を読んだことないの?」と偉そうに言ったあと、グリムはどんな作品を描いているのかと聞かれて答えに詰まる話。――そう言われてみると『赤ずきん』、『白雪姫』くらいしか思い浮かばないので、グリム童話集を引っ張り出して調べてしまった。『金のがちょう』『ラプンツェル』『ブレーメンの音楽隊』『ヘンゼルとグレーテル』『シンデレラ』などなど、いっぱいあった!
Ⅴの『美醜』――飼っている牡猫のビルが、若くて美人の雌猫には目もくれず、何度も仔を生んだ小肥りで醜い年増猫を選んだという話。「つまり、ビルは山口百恵を振って悠木千帆を選んだのである」などと言えるのがすごい。悠木千帆(樹木希林)とよほど仲がいいのだろう。
ほかには『ゆで卵』、『草津の犬』、『サーカス』、『笑いと嗤い』、『無口な手紙』なども面白く読んだ。(2011.6.10読了)
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by nishinayuu | 2011-09-08 12:31 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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