『羊の歌』(加藤周一著、岩波書店)


c0077412_10331121.jpg朝日新聞に連載されていた随想『夕陽妄語』(1984-2007)の著者による回想録で、発表されたのは1968年。『夕陽妄語』を読みながら、「智の巨人」とはこういう人のことかと思ったものだったが、その「智の巨人」がどのようにして形成されたかを窺い知ることができる非常に興味深い読み物である。
「祖父の家」のことから書き起こされ、「八月十五日」に至るまでの著者の前半生が語られているが、いつどういうことがあったかということとともに、著者がそれをどう感じたかにも重点が置かれており、その表現が非常に文学的なのが印象的だ。例えばこんな具合である。
「目の前ではまぶしい夏の午後の光のなかで、尾崎氏の娘の洋服の裾がひるがえり、私の妹の笑声が高くひびき、打球の音が続いていた。私には尾崎家の人びとがただそののどかな午後のために生きていたようにさえ思われる。あの妖精のような娘、浮世離れのした父、球を追うことに生真面目に集中していた息子たち……おそらく彼ら自身にとっても最上のときに、そしてそのときにだけ、私は彼らに出合ったのである。」(「高原牧歌」の章)
また、本郷の医学部構内で太平洋戦争突入の報に接したときのことは次のように述べられている。
「私は周囲の世界が、にわかに、見たこともない風景に変わるのを感じた。基礎医学の建物も、樹立も、同級生の学生服も、一年以上毎日見慣れてきたものであり、それはそのまま、初冬の小春日和のしずかな午前の光のなかにありながら、同時に初めて見る風景の異様に鮮やかな印象をよびさました。(中略)その感覚的な印象は、たとえばものの味のように、言葉ではいいあらわし難いが、実に鮮明なもので、再び同じ経験をしたときには、ただちにそれとわかるにちがいないほどはっきりしていた。」(「ある晴れた日に」の章)

ある一瞬をこれほど鮮やかに目や心に焼き付ける感受性と、それを的確な言葉に置き換える表現力を併せ持っているとは、なんとすばらしいことだろう。このように印象的な場面が随所に散りばめられたこの作品は、画集のように楽しむこともできるし、偉大な先輩の考え方、生き方を学ぶテキストとしても読める。ただし著者自身は「あとがき」で、「現代日本人の平均にちかい、こういう日本人が成り立ったのは、どういう条件の下においてであったかを語ろうとした」のだと述べている(!)(2011.5.9読了)
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by nishinayuu | 2011-08-03 10:33 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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