『バーデン・バーデンの夏』(レオニード・ツィプキン著、沼野恭子訳、新潮クレストブックス)


c0077412_10153399.jpg読み始めるとまず、冒頭の文が切れ目なく24行も続いているのに驚く。切れ目のない長い文を書き連ねる作家はほかにもいるので、これだけのことならちょっと驚くだけですむ。ところが読み進んでいくうちに、段落が極端に少ないことに気づいて、さらに驚くことになる。訳者によると「原書で正味170ページ以上ある小説だが、段落はたった11しかなく……」ということだが、この220ページほどの翻訳書では段落がなんと5つしかない(数え間違っていなければの話ですが)。この風変わりな文体が、同じく風変わりな内容と響き合って、この小説に独特の魅力を与えている。
この小説には二つの時と二つの物語の流れが、時に強く、時に軟らかく絡み合いながら流れている。一つは1867年夏のドストエフスキーとアンナの物語であり、もう一つはその1世紀後の冬にドストエフスキーを思いながら列車の旅をする「語り手」の物語である。冬のある日、「語り手」は『アンナの日記』を手に、モスクワからペテルブルグ行きの列車に乗り込む。窓外を眺め、客車内に目を移し、『アンナの日記』が手許にあるいきさつに思いを馳せ、そして本を開いて1867年の夏に身を置き、ドストエフスキーのユダヤ人嫌いを思い出し、それなのになぜユダヤ人である自分が彼を愛さずにはいられないのか悩み、また車内を見回し……という具合に、語り手は目に映る物、頭の中を駆けめぐることを語っていく。こうして語り手の現在の旅と1世紀前のドストエフスキー夫妻の旅は、渾然と溶け合って進んでいく。ドストエフスキーのバーデン・バーデンにおける破滅的な暮らしぶりも印象的ではあるが、それよりいっそう心に深く残るのは、ドストエフスキーに対するアンナと「語り手」=作者ツィプキンの深い愛情である。
巻末にこの作品を「発掘」したスーザン・ソンタグの「ドストエフスキーを愛するということ」というエッセイが掲載されている。『バーデン・バーデンの夏』を、そして作者ツィプキンを理解するのに、これ以上の紹介文はないと思われるすばらしいエッセイである。(2011.5.3読了)

☆この本は、翻訳者とカバーで選びました。翻訳者は、ロシアという不思議な国の持つ異国情緒を流れるように自然な日本語で味合わせてくれる、ロシア文学の名翻訳者。そしてカバーには、シスレー風の小径を歩むモネ風の女性とマグリット風の男性の後ろ姿が、淡いブルーを基調とした幻想的なタッチで描かれている。出合った瞬間、これは私のために作られた本かもしれない、と思ったのでした。(とか言いながら、図書館で借りて読んだのですが。)
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by nishinayuu | 2011-07-28 10:15 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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