「ほっ」と。キャンペーン

『小さいおうち』(中島京子著、文藝春秋社)


c0077412_1028222.jpg第143回直木賞受賞作。帯の惹句に「昭和モダンの記憶を綴るノートに隠されたひそやかな恋愛事件」とある。
第1章から第7章までの語り手はタキ。昭和5年の春、尋常小学校を卒業したタキは女中奉公のために東京に出てくる。最初に奉公したのは小説家・小中先生のお宅。小中先生は女中にとって一番大切なものは「ある種の頭のよさ」だと言い、その例としてご主人が仕事上のライバルから預かった大切な論文を「うっかり暖炉にくべて焼いてしまった」頭のよい女中の話をする。(このエピソードは。)翌年、小中先生の知り合いの娘さんに幼い子どもがいて手がかかるので、そちらにまわって欲しいと言われて、浅野家に移る。ここでお世話することになったのがタキより8歳年上で22歳になったばかりの時子奥様と一人息子の恭一だった。その日から時子奥様と「ずいぶん、濃い時間をいっしょに過ごした」のだった。
タキが奉公に上がった年にご亭主を事故でなくした奥様は、昭和7年の暮れに平井の旦那様と二度目の結婚をする。子連れ、女中連れの結婚である。そして結婚して三年目に、新宿から西に延びる私鉄の沿線にある住宅地に、平井家の新居が完成する。赤い瓦屋根が目に映えるその家は近隣の目印になっており、ある時は一人の青年が、家の前にイーゼルを立てて、絵を描いていたりした。二階建てのその家の階段裏には、タキのための女中部屋もあり、初めて自分の部屋をあてがわれたタキは、そこを終の棲家と思い定める。タキはそれから11年という年月、目に見えて成長していく恭一坊ちゃん、男の臭いがしない旦那様、女学校時代以来ずっと時子奥様に特別の思いを寄せているらしい睦子さん、時子奥様との間に何かありそうな板倉青年、そしてだれよりも時子奥様その人と、「ずいぶん、濃い時間をいっしょに過ごした」のだった。その間に2.26事件があり、満州事変があって、世の中は戦争の色に染まっていく。
最終章の語り手はタキの甥の次男である健史。タキの語りの中にもたびたび登場して、タキの書いた「心覚えの記」をこっそり読んだり、そのうち無理やり読まされたりしていた人物で、タキの最晩年をよく知る人物でもある。彼はまず漫画家のイタクラ・ショージが遺した『小さいおうち』という奇妙な紙芝居作品と、そこに出てくる家とそっくりに建てられているイタクラ・ショージ記念館について語る。それから、タキが健史に遺した「心覚えの記」が尻切れとんぼなのが気になって、その記録の続きを探りだしたこと、さらにタキの遺品を調べているうちに、裏に平井時子とある未開封の封書を発見したことを語る。最後に健史は平井恭一を訪ね当て、盲目の老人になっている恭一に促されてその封書を開く。それは時子が出征を控えた板倉と会うためにタキに托した手紙で、タキはそれを板倉には渡さなかったのだ。タキは時代の要請でそのような選択をしたのだろうか、あるいは時子とタキはイタクラ・ショージの『小さいおうち』に描かれた、手を握り合っているいつもいっしょの二人の女だったのだろうか、と健史は答えのない問を問い続ける。

小中先生がタキに語った頭のよい女中の話は、ジョン・スチュアート・ミルとトマス・カーライルの間に起こった出来事を脚色したもの。小中先生にもモデルがありそう。小中先生はこの物語ではほんの端役でしかないが、ちょっとしたくせ者で、いい年なのにちゃんと男の臭いもするのだ。(2011.4.9読了)
[PR]
by nishinayuu | 2011-07-04 10:28 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://nishina.exblog.jp/tb/16553991
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
<< 『鐘の音』(申京淑著、文学トンネ) 映画『凱旋門』 >>