『日曜日の空は』(アイラ・モーリー著、古屋美登里訳、早川書房)


c0077412_8481099.jpgアパルトヘイト時代の南アフリカで育ち、現在ロサンジェルスに住む著者のデビュー作。
「アフリカには良い月と悪い月がある。月が大地の恵みと人の運命を告げる。月食、黄色い月、弧が上にある三日月は不吉だ。飢え、不作、争い、病いが起きる。まわりにうっすらと暈のかかる月が意味するものはたったひとつ。死だ。」――月に暈のかかっていた夜が明けた日、アビーは三歳の娘クレオを失う。ぎくしゃくしていた夫との関係を修復するために二人で映画を見に行っている間に、友人のところに預けておいたクレオが凧を追って道に飛び出し、車にはねられたのだ。その直前までアビーは、雑誌記者として締め切りに追われる日々の中でのしかかる家事、反抗期にさしかかってやたらに要求の多いクレオ、誠実な牧師だが家事や育児には頭が回らない夫、修理をさせたのに依然として雨漏りする車庫、反対ばかりする小うるさい教会の夫人たちなどのせいで苛立ちを募らせていたのだが、それらはすべて吹き飛んでしまう。鮮明に蘇るクレオのことばやしぐさ。煩わしくてじっくり味わうこともなかったそのかわいい言動は、もう永遠に戻ってこないのだ。アビーの絶望と怒りはあまりに激しく、心は氷のようになってその冷気で周りの人びとを凍らせる。夫と悲しみを分かち合うこともなければ、友人・知人のいたわりも、そして神さえも拒絶する。そうした絶望の中でアビーは自分を見つめ、南アフリカでの少女時代に思いを馳せる。粗暴だった父親、そんな父親のもとに留まることを選んでアビーを捨てた母親、アビーを見守ってくれた祖母とその農園、まじない師のビューティ。夫も去って一人になったアビーは、さしあたっての金銭問題を解決するために、遺産として兄と自分に残された農園を売ることにする。こうしてアビーは二度と帰るつもりのなかった南アフリカに向かう。
激しい絶望と怒りが心神耗弱をもたらすのではなく、逆に凄まじいエネルギーとして主人公を突き動かすという、圧倒的な迫力の作品である。「訳者あとがき」に次のような著者のことばが載っている。
「どんなに恐ろしいことが起きても、必ず希望は訪れる。希望を持ち続けることができないような辛いときも、やがて希望はやって来る。日曜日が必ず来るように。読者の皆さんにはこの小説からそのメッセージを読み取っていただきたい。」(2010.10.6読了)
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by nishinayuu | 2011-02-04 08:48 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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