『愛と哀しみのマンハッタン』(ジュディス・クランツ著、尾島恵子訳、集英社)

c0077412_10171086.jpgニューヨーク生まれの著者による1986発表の作品で、原題はI’ll Take Manhattan。
ひときわ目立つ美貌の持ち主であるマキシが、コンコルドのスチュワーデスともめる場面から物語が始まる。飛行機がまだ停止スポットに向かって滑走中なのに、マキシが席を立って「何をもたついているの」とスチュワーデスに文句を言ったからだ。さらに入国審査ゲートではパスポートのことで、税関では関税すり抜けの常習犯なので、それぞれの係員ともめる。「生まれつきわがままで、規則に縛られるのが大嫌いな」と冒頭で紹介されるマキシだが、そんな言葉ではすまされない、鼻持ちならない女性である。大富豪アンバービル家の一人娘で29歳。娘が一人いて離婚歴が3回というマキシは、フランスのブルターニュで楽しんでいた休暇を中断してコンコルドでニューヨークに駆けつけたところだ。兄のトビアスから電話があり、兄にもマキシにも内緒でアンバービル出版社の緊急役員会が召集されることを知ったからだ。
役員会で、父(1年前に不慮の死を遂げた)の作った出版社を、そして父亡き後の母を、父の弟であるおじがわがものにしたことが明らかになる。その後、おじは出版社から父の足跡を消し去ろうとやっきになり、創業期からの社員を追い出しにかかる。この辺りから、それまであきれたわがまま娘でしかなかったマキシが有能な女性に変身し、何を考えているのかわからない感じだった母親も最後の最後にいきなりまともになり、という具合にちょっとあり得ない展開になる。それでもまあ、あれこれこだわらずに読めば、華やかなニューヨークを舞台にした、ばりばりのキャリアウーマン誕生の物語として、楽しめなくもない。
ところで、この日本語タイトルはなんとかならないだろうか。『愛と哀しみのボレロ』(1981年のフランス映画)、『愛と哀しみの果て』(1985年のアメリカ映画)、『愛と哀しみの旅路』(1990年のアメリカ映画)、『愛と哀しみのノクターン』(Versaillesの歌)、『愛と哀しみのラストショー』(チェッカーズの歌)などなど、「愛と哀しみ」が安易に濫用されている。それに、そもそもこの作品のどこに「哀しみ」があるというのか。(2010.8.11読了)
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by nishinayuu | 2010-12-09 10:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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