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『第三の嘘』(アゴタ・クリストフ著、堀茂樹訳、早川書房)

c0077412_101047100.jpg『悪童日記』『ふたりの証拠』に続く第三番目の「クラウスとリュカ」の物語。
『悪童日記』の最後に残された謎が次作で解明されるかと思いきや、『ふたりの証拠』には新たな謎が立ち現れて、謎はいよいよ深まったのだった。したがってこの『第三の嘘』が前2作の謎を解明するものでないことははじめから明らかである。タイトルもタイトルだし(原題:Le Troisième Mensonge)。
物語は二つの部分からなり、第一部は少年時代に国境を越えて40年ぶりに戻ってきた「クラウス」が、第二部は双子の片割れであるもうひとりが語り手となっている。『ふたりの証拠』では怪しくなっていた『悪童日記』の双子の存在が、ここでまた確認されるわけだ。しかしこのふたりは『悪童日記』のふたりとはかなり違う。
「クラウス」は幼いときに不幸な事故にあって生死の境をさまよい、その後は施設に送られ、やがておばあちゃんの家に行き、見知らぬ男(父親ではなく)を踏み台にして国外に出た。
もうひとりのほうは叔母の家に引き取られて育ち、今は老いた母親の面倒を見ながら暮らしている。彼は母親が愛しているのが自分ではなく、いなくなってしまった「リュカ」であることに苦しむ。つまり、40年ぶりに帰ってきた「クラウス」と名告る男が「リュカ」で、今、リュカという名で詩を発表している男がクラウスなのだ。そのクラウスは、自分を訪ね当ててきた「リュカ」を追い返してしまう。あくまでも他人のふりをして。
『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』は、三部作と銘打たれているように、確かに同じ小さな町が舞台になっているし、登場人物もほぼ重なる。しかし、ずれているところ、矛盾するところも多く、読む者を惑わし緊張させる作品群である。そしてこれらの作品がもたらす感銘は、『ふたりの証拠』の場合は下敷きに『悪童日記』があればこそ、また『第三の嘘』の場合は下敷きに『悪童日記』と『ふたりの証拠』があればこそより深まるであろうことは間違いない。三作とも強烈なインパクトのある傑作なので、独立した作品として読んでも充分楽しめるだろうけれども。(2010.1.29記)
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by nishinayuu | 2010-04-06 10:10 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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