『若き日の哀しみ』(ダニロ・キシュ著、山崎佳代子訳、東京創元社)

c0077412_10402162.jpg1935年、旧ユーゴスラビアのスポティツア市(現スロベニア共和国内)に生まれ、第二次世界大戦中に少年時代を送った著者の、自伝的連作短編集。1969年に発表されたもので、本翻訳は1995年の出版。
何かを暗示するような「秋になって、風が吹き始めると」で始まり、「マロニエの通り」「遊び」「略奪」あたりまで、人物や状況の説明がいっさいないままに断片的な場面が現れては消えていく。
そのあともおねしょの失敗談、学校友だちとの幼い恋、少年のことばがわかる犬のディンゴのことなど、いかにも少年らしい話や、牛の世話、鶏小屋掃除、キノコ取りなど、父親のいない家庭の貧しい暮らしぶりが伝わってくる話、戦争がすぐ近くを通っていく話などが、前後のつながりや時の流れとは無関係に語られていく。
あるときはアンドレアス・サムという正式名で、あるときはアンディという愛称で、またあるときはただ「少年」として、そしてときには「僕」として登場するこの少年の全体像は、全編を読み終わって初めてはっきりと見えてくる。最後まで読んでから冒頭の数編を読み返してみると、そこに描かれている場面が鮮明な色彩とともに浮かび上がり、「マロニエの通り」を訪れた主人公の感慨が胸に響いてくるのである。
「遊び」に、少年が自分の血筋であることの証拠を見つけたユダヤ人の父親が、モンテネグロ人である妻にそのことを告げれば妻がどんなに傷つくだろうか、と想像してほくそ笑む場面が出てくる。多民族国家・ユーゴスラビアのその後の運命を暗示しているようでどきりとさせられるが、本作品に影を落としているのはナチ政権であり、著者の父親は1944年にアウシュビッツに送られ、そのまま帰らぬ人となった。

本作品は母や姉とともに農家の手伝いをして暮らした父の故郷の情景が原型になっているという。この牧歌的な田園にはなんとたくさんの植物があふれていることか。マロニエ、薔薇、菫、リラ、アカシア、ヒナギク、オトギリソウ、山蓬、サフラン、霞草、白つめくさ、ニワトコ、キンポウゲ、カミツレ、桜草、スイバ、釣鐘草、パプリカ、スグリ、林檎、梨、無花果、マルメロ、ウマゴヤシ、麦、そして毒キノコのイグチタケなどなど。全編にあふれる草花、木の花、果物、農作物の名が、少年とその家族の貧しさや惨めさをオブラートのように包みこんでいる。(2009.2.14記)
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by nishinayuu | 2009-05-05 10:40 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)
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