翻訳練習 課5


今学期の韓国語講座「翻訳の秘訣」で練習したものの記録です。(2017.11.13

翻訳に当たって特に気をつけるべき点-その1

1漢字語に注意(韓国語と日本語では意味が異なる場合がある)。

原文:学力低下問題をめぐって議論が行われています。(議論注意)

訳文:학력 저하 문제를 둘러싸고 논의가 이루어지고 있습니다.

2「~ている」に注意(韓国語では進行中の場合にだけ使う)。

原文1:雨は止んでいます。

訳文:비가 그쳤습니다.

原文2:先月、政府は景気悪化が続く可能性があるとの見通しを発表しています。

訳文:지난 달에 정부는 경기악화가 계속될가능성이 있다는 전망을 발표했습니다.

3受動態に注意(韓国語は能動表現が多く、特に事物が主語の場合は受動態は使わない)。

原文:さしたる解決策もないが、今は任せられた任務を遂行するしかない。

訳文:이렇다할 해결착도 없지만, 지금은 내가 맡은 임무를 수행할 수밖에 없다.

c0077412_10134359.jpg4二重否定はできるだけ避ける。

原文:洋書を読むには単語を覚えなければなりません。(洋書要注意。)

訳文:원서를 읽으려면 단어를 외워야 합니다.


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# by nishinayuu | 2018-01-21 10:17 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

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Level of Life』(Julian Barnes, 2013

著者は『終わりの感覚』で2011年にブッカー賞を受賞した作家。OEDの編集に携わっていたこともあるという。




本書はそれぞれ独立した内容を持つ3つの章によって構成されている。

1章「高さの罪」の主人公は、史上初めて上空から地表を撮影したフェリックス・トゥルナション(18201910)通称ナダール。ジャーナリスト、風刺画家、写真家、気球乗り、発明家、起業家でもあったナダールは同時代の人々から「発散する元気の量が仰天レベル」(ボードレール)、「才気煥発の愚か者」(ネルバル)、「頭がよく回る、合理性の欠片もない男」(後に親友となった編集者)などと評されている。また、「写真を芸術の高みに引き上げんとするナダール」(ドーミエによる風刺画)という絵に登場し、彼の乗った気球ルジアン号もマネやルドンの絵に描かれている。さらに、ビクトル・ユゴーが宛名に一語「ナダール」と書いて出すと手紙がちゃんと届いた、というエピソードも残している。第1章にはこのナダールのほかに気球旅行をした女優のサラ・ベルナール、ドーバーからイギリス海峡を越えてフランスに飛んだ英国軍人フレッド・バーナビーも登場する。

2章「地表で」は上記のサラ・ベルナールとバーナビーの出会いと別れを綴った恋愛物語。もちろん実話ではなくフィクションであるが、彼らに関するエピソードや同時代人による評が盛り込まれていて楽しい。例えば「ベルナールは生涯を通じてナダールの――最初は父ナダール、のちに息子ナダールの――被写体であり続けた」とか、「身長はようやく150㎝ほど」、「共演の男優とは必ず寝ていた」、「感嘆するほど目立つことに秀でた人物」(ヘンリー・ジェイムズ)、「嘘っぽく、冷たく、気取り屋。あのパリ風シックには胸が悪くなる」(ツルゲーネフ)などなど。あの『スラブ叙事詩』の画家ミュシャ/ムサが描いたベルナールを思い浮かべながら読むのも一興である。

3章「深さの消失」は、最愛の妻をほとんど突然失ったバーンズが、妻のいない日々をどのように生きたかを綴ったもの。出会ってから30年という歳月をともに歩んできてこれからも歩んでいくはずだった妻の死によって、作家は奈落の底に突き落とされる。悲しみと苦しみにとらわれ、周囲の言葉に傷つき怒り、ついには自分も消えてしまおうと考える。一人残された者のそんな思いが事細かに綴られていて、胸を打つ。第1章は本来組み合わさるはずのない物事の組み合わせによって高みへと導かれる物語、第2章は出会うはずのない者同士が出会って高みに到達するが、いきなり高みから突き落とされる物語だった。そしてこの第3章のテーマは、高みから突き落とされたあとはどうなるか、ということである。まだ光は見えていないが、光を見ようとする意思が感じられる終わり方である。いつかある日、本書に救われる日が来るかもしれない、と思いながら読み終えたのでした。(2017.11.14読了)


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# by nishinayuu | 2018-01-16 10:01 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


c0077412_09242068.jpg本書は「地図のない道」と「ザッテレの河岸で」の二部からなる旅の随想記である。「地図のない道」は「新潮」(19965月号~7月号)に掲載されたのち著者が加筆・訂正中だったものを、著者の没後に編集部の責任で整理したものだという。


「ザッテレの河岸で」の初出は『ヴェネツィア案内』(トンボの本 19945月、新潮社)。

「地図のない道」はさらに「その1」「その2」「その3」の3つに分けられている。

「地図のない道-その1-ゲットの広場」――評論家ジャコモ・デベネデッティの著作『一九四三年十月十六日』を手にしたのをきっかけに著者は、ローマのユダヤ人とその歴史に思いをはせる。そしてゲットにあるレストランのざわめきから著者の思いは30年前に出会ったユダヤ人のマッテオへ、彼との出会いをもたらしたミラノのコルシア書店とその店主で著者の夫となったペッピーノへ、夫婦で名付け親となったマッテオの息子たちジャコモとジョヴァンニへと続いていく。最後はヴェネツィアの「ゲットのツアー」に挑戦して3度も冷たく門前払いされ、やっと4度目に参加できたが…という話で締めくくられている。

「地図のない道-その2-橋」――夫の死後に著者が初めてヴェネツィアを訪れたときに知り合ったルチアの話から始まる。「おばさんのところにちょっと寄る」と言ってグリエの橋のたもとで著者を待たせたルチアは、1943年頃の生まれで両親はもういないと言っていた。のちに再度グリエ橋を訪れた著者は、そこがゲットの入り口に近いことを知って、もしかしたらルチアの「おばさん」はユダヤ人の赤ん坊を引き取って育てた人のひとりだったのかもしれない、とふと思う。ヴェネツィアの大運河(カナル・グランデ)に架かるスカルツィ橋、リアルト橋、アカデミアの橋の三つのうち、飛び抜けて華やかなのはリアルト橋だが、著者にとっていちばん親しみが持てるのはアカデミアの橋だという話から、著者の連想は橋の多い大坂へと飛び、やがて「祖母の大坂」を歩くことに繋がっていく。

「地図のない道-その3-島」――1967年に夫と祖母を相次いで亡くした著者は翌年の夏、ベルリン生まれの友人インゲに誘われてヴェネツィアの沖にあるリド島(『ヴェニスに死す』の舞台でもある)のアルベローニに滞在していた。ある日インゲの勧めで、トルチェッロを訪れる。たぐいまれなモザイクがあることで知られる古い教会を見るためだった。そしてヴェネツィアに帰る最終便を待ちながら著者は、結婚した当時のこと、結婚式の司式をしてくれた夫の友人ダヴィデが連れて行ってくれたスロヴェニアの国境に近いアクイレイアの聖堂に思いをはせる。「海をへだてた小高い松林の丘には、アクイレイアの白い大聖堂が夕日をうけて燦めいているはずだった。」

「ザッテレの河岸で」――ヴェネツィアのジュデッカ運河に沿って散策していたときに著者の目にとまったのはリオ・デリ・インクラビリ(Rio degli incurabili) という水路名。Incurabiliは治療の当てのない、手の尽くしようのない病人を意味する語で、かつてそこにそういう名称の施設があったという。この名称をきっかけに、著者の縦横無尽な歴史的、文学的、社会学的考察が繰り広げられる(情報量が多すぎるので内容は省略)。

異国を旅する人の心に映る風景が写し取られている本書は、著者が翻訳した『インド夜想曲』とどこか似ている。流れるように美しい日本語が味わえることは言うまでもない。(2017.11.9読了)


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# by nishinayuu | 2018-01-12 09:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


本書は「史実に基づいたフィクション」で、4人の画家にそれぞれ一つの章が与えられた、4部構成の作品である。

c0077412_14272673.jpg*「美しい墓」――アンリ・マティスに関する章。舞台は光あふれるコートダジュール。語り手は21歳のときマグノリアの花とともに84歳のマティスのアトリエに送り込まれたマリア。マティスを支えた「マグノリアのマダム」やパブロ・ピカソなどに関するエピソードとともに、マティスの最晩年の姿が生き生きと浮かび上がる。冒頭にピカソの次のような言葉が掲げられている。「もしもマティスが死んでしまったら、ほかの誰にも話せないことを胸の中にためこんでしまうことになる。なんといっても、私には、マティスしかいないんだ。」

c0077412_14274015.jpg*「エトワール」――エドガー・ドガに関する章。進行役として登場するのはドガの友人だったメアリー・カサット。彼女はパリで成功した最初のアメリカ人画家であり、印象派をアメリカに伝えることによって印象派の世界的成功をもたらした立役者である。ドガが生前に発表した唯一の彫刻作品『十四歳の小さな踊り子』のモデルは「オペラ座」のエトワールを夢見ていた踊り子だったが、ドガの彫刻はアトリエの奥にしまい込まれ、夢破れてバレエを捨てた少女の行方はわからない。

c0077412_14275518.jpg*「タンギー爺さん」――ポール・セザンヌに関する章。語り手はゴッホの『タンギー爺さん』で知られるパリの画材商タンギーの娘である。才能のある画家たちへの援助を惜しまなかったタンギーが最も愛していた画家がセザンヌだったこと、セザンヌが親友だと思っていたゾラがセザンヌをモデルにして絶望の果てに自ら命を絶つ画家を描いたこと、しかもその作品『制作』をセザンヌに送りつけたこと、ゾラの呪詛にもかかわらずセザンヌは「リンゴ一つで、パリをあっと言わせてやる」という予言を実現させたことなど、興味深いエピソードが盛り込まれている。

c0077412_14274943.jpg*「ジヴェルニーの食卓」――クロード・モネに関する章。進行役はクロード・モネの義理の娘であるブランシュ。舞台はブランシュたちオシュデ一家の別荘であるモンジュロンのロッテンブール城から、モネが妻や息子たちと暮らすヴェトゥイユの借家へ、そしてジヴェルニーの館へと移る。それに伴ってオシュデ家とモネの関係も、‘裕福なスポンサー’と‘売り出し中の画家’から、‘倒産して妻子を貧しい画家に託したもとスポンサー’と‘ブランシュやその母アリスらとの同居を心から喜ぶ画家’へ、そしてオシュデ亡き後のアリスとやはり妻を亡くしたモネがついに結ばれてできあがったほんとうの家族へと変遷する。二つの家族が一つになるというおとぎ話のような展開に、様々な作品に関するエピソードが加わって、モネの絵そのままに明るい輝きに満ちた物語となっている。もと首相で美食家のクレマンソーが「睡蓮」の完成に大いに貢献しているというエピソードも楽しい。(2017.11.8読了)


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# by nishinayuu | 2018-01-07 14:31 | 読書ノート | Trackback | Comments(1)

私の10冊(2017年)

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☆この1年に読んだ本の中から特に気に入った本を選んで、「私の10冊」としてまとめてみました。また、「私の10冊」の選から漏れた本を「お勧めの10冊」として挙げてみました。

☆画像は「ふたつの海のあいだで」です。


「私の10冊」

聖ペテロの雪(レオ・ペレック、訳=垂野創一郎、国書刊行会)

イザベルに 曼荼羅(アントニオ・タブッキ、訳=和田忠彦、河出書房新社)

植物たちの私生活(李承雨、訳=金順姫、藤原書店)

The Buried Giant (KazuoIshiguro, Vintage)

冬の灯台が語るとき(ヨハン・テオリン、訳=三角和代、早川書房)

ぼくが逝った日(ミシェル・ロスタン、訳=田久保麻里、白水社)

ふたつの海のあいだで(カルミネ・アバーテ、訳=関口英子、新潮クレストブックス)

あの素晴らしき七年(エトガル・ケレット、訳=秋元孝文、新潮クレストブックス)

ジヴェルニーの食卓(原田マハ、集英社)

黄昏に眠る秋(ヨハン・テオリン、訳=三角和代、早川書房)


「お勧めの10冊」

회색 문헌 (강영숙, 문확과지성사)

書店主フィクリーのものがたり(ガブリエル・ゼヴィン、訳=小尾芙佐、早川書房)

The Sheep (H. H. Munro,Doubleday & Company Inc.)

妻は二度死ぬ(ジョルジュ・シムノン、訳=中井多津夫、晶文社)

A Woman of No Importance(Oscar Wilde)

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年(村上春樹、文藝春秋)

ゴリオ爺さん(バルザック、訳=中島英之、青空文庫)

チェーホフ短編集(編=沼野充義、集英社)

地図のない道(須賀敦子、新潮社)

人生の段階(ジュリアン・バーンズ、訳=土屋政雄、新潮クレストブックス)


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# by nishinayuu | 2018-01-02 17:09 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


c0077412_09212309.jpg本書は20083月~20105月に集英社の文芸誌『すばる』に掲載されたものをまとめたもの。読書会「かんあおい」201711月の課題図書として『ロスチャイルドのヴァイオリン』を選定したnishinaは、近所の図書館からかき集めてきた5冊のうち4冊は会員たちに回し読みしてもらうことにし、沼野充義訳の本書を手許に残した。これが大正解!訳文が滑らかで読みやすいのはもちろんだが、各作品に詳細で興味深い「解説」が付いているので、勉強にもなるし2倍も3倍も楽しめた。

13編の収録作品は、次のように4つのグループに分けられている。

*「女たち」――かわいい/ジーノチカ(憎まれ初め)/いたずら/(ナッちゃん、好きだよ)/中二階のある家(ミシュス、きみはいつまでもどこか手の届かないところにいる)

*子供たち(とわんちゃん一匹)――おきなかぶ(累積する不条理)/ワーニカ(じいちゃんに手紙は届かない)/牡蠣/おでこの白い子犬

*死について――役人の死(アヴァンギャルドの一歩手前)/せつない(ロシアの「トスカ」)/ねむい(残酷な天使)/ロスチャイルドのヴァイオリン(民族的偏見の脱構築)

*愛について――奥さんは子犬を連れて

強く印象に残ったのは「ワーニカ」「せつない」の2作品。どちらも余りにせつなくて泣けてくる。

解説で特に印象に残ったのは次の事項。

*ロシア語では「流れ星」ではなく「落ちる星」という。「中二階」のジェーニャが流れ星を怖がるのは下に落ちてしまうことへの恐怖だと解釈できる。

*チェーホフには呼びかけが多いが、呼びかけはしばしば相手に届かない。ワーニカが出す手紙が絶対に「村のじいちゃん」には届かないように。ミシュスへの呼びかけも、人と人との間に横たわる絶望的に越えがたい深淵を意識した人間の諦めと希望の入り混じった叫びである。

*現代のロシア語辞典には「村のじいちゃんへ」は宛先不明の時におどけていう慣用句として登録されている。

*「トスカ」とは一切何もしたくなくなるような憂鬱、心を締め付けられるような煩悶、すべてを投げ出して消えてしまいたくなるような不安。二葉亭四迷は「ふさぎの虫」と訳しているという。(プッチーニのトスカとは無関係でした!)

*「ロスチャイルドのバイオリン」でチェーホフは、ユダヤ人の特徴とされるものをロシア人に移し、まさにそのことによって民族的偏見の根拠を切り崩すという作業を行っているのである。

*「奥さんは子犬を連れて」についてナボコフは、「ここには引き出すべき道徳も、受けとめるべき主張も存在しない、高貴なものと低俗なものの違いが存在しない、現実的な結末が存在しない」といった特徴を数え上げ、それをすべて肯定的に評価して「かつて書かれた最も偉大な短編小説の一つ」とまで言っているそうだ。ところで訳者はある文学講座の受講者に「この後、アンナとグーロフの関係はどうなるか?続編を構想せよ」という課題を出したことがあるという。(受講生じゃなくてよかった!でも〇〇年前だったら喜んで取り組んだかも。)(2017.10.29読了)


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# by nishinayuu | 2017-12-30 09:29 | 読書ノート | Trackback | Comments(2)


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本作品は「どうやらあがったようだわ。宇藤聖子は露の晴れ上がった空を見上げてそう呟いた。」という文で始まる。「あがった」のは「雨」だと思わせておいて、数行先で雨ではなく別のものの話だということがわかるのだが、なにやらゆったりした家庭小説の始まりを期待させる書き出しである。

主人公の宇藤聖子は、知り合いの税理士事務所で週三日ほどアルバイトをしているが、主婦業も完璧にこなす50台はじめの女性。夫の守とは大学の同級生で、出産前までは丸の内でばりばり働いていたという設定。それでこの夫婦の会話にはマルグリット・デュラスとかオクタビオ・パス、トーベ・ヤンソン、クロード・シモンなどの名がぽんぽん飛び出す。零細編集プロダクションを営む夫がある晩持ち出した名前は伊藤整だった。ある会社のPR誌を引き受けることになり、創業者の趣味を入れて伊藤整の『女性に関する十二章』のようなものを書くようことになったという。「文筆業が本業でその傍ら編集もやっている」という建前の夫はこの仕事に乗り気になっていて、『女性に関する十二章』をきみも読んでみる?と聖子に聞く。自分は家の本棚から見つけた文庫本を読むから、聖子はタブレットで読めばいいという。すでにキンドルで電子書籍を買ってあるのだ。まさに今の時代のごく一般的な夫婦、ということだろう。(因みにnishinaも新しもの好きの夫のおかげでずいぶん前からキンドルを使っているが、周りにいる同年代の友人知人には同類が見当たらない。)

こうして伊藤整の『女性に関する十二章』と付いたり離れたりしながら『彼女(聖子)に関する十二章』が展開していくことになる。初恋の男性の息子との邂逅に始まり、彼女なりにめまぐるしい男性との関わりが綴られていき、その合間に適度な蘊蓄も挟み込まれていて、中年女性の日常を綴ったエッセイのような趣もある。そして最後はまた冒頭と呼応するように「あがった」話で締めくくられている。この作者の本は『小さいおうち』しか読んでいないので、他の作品も読んでみようかという気分になった。たとえば泉鏡花賞を受賞している『妻が椎茸だったころ』とか、チャンドラーか?と突っ込むのがお約束と思われるタイトルの『長いお別れ』とか。

目にとまった部分を軽重は度外視して書き留めておく。

*阿野弥也子なんか、すっごいこと書いてて、あっちこっちから怒られているけど、それでもブイブイ威張りながら書いている。(あの作家のことですね。)

*守に仕事をくれた会社の会長が、若い男に動物としての種まき本能が欠けているから少子化問題が起こるのだという論理から、PR誌のタイトルを『種を蒔く人』にしたいと言い出した。それを聞いた聖子は初恋の人・久世佑太は「種を蒔く人」になったのだ、と思う。

*伊藤整による『金色夜叉』の要約。

*初恋の相手は一生の間その人の美の原型となる。

*アンドレア・デ・サルトがアンドレア・デ・サルトでなかったとしたら、『吾輩は猫である』の冒頭は、あんなにおかしいだろうか。

*お金を使わずに生きることにかけている片瀬さんと喫茶店に入ると、チェット・ベイカーの『レッツ・ゲット・ロスト』が流れていた。

*「自分のエゴも他人のエゴも肯定する」のがキリスト型の愛で、「他人のために自分のエゴを否定する」のが孔子型の愛だ。

*孔子型の愛は自己犠牲を称揚する日本的な情緒とつながる。そして「いつだって日本で軍事化が進められるときには、日本的情緒が引っ張り出される」と伊藤整は言っている。

*『遠くへ来たもんだ』(海援隊)と『遠く来たもんだ』(中原中也)じゃ大違いよ、と言って聖子はタブレットで中也の詩を読む。「この詩、いいよね」と聖子がしみじみ言い、「いいね」と言って妻を見上げる守に微笑み返す。

2017.10.28読了)


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# by nishinayuu | 2017-12-26 09:17 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)


Aunts Aren’tGentlemen』(Wodehouse――1974年の英国版

TheCatnappers』(Wodehouse)――1975年のアメリカ版

c0077412_09041249.jpg本書はイギリスのユーモア作家・ウッドハウス(18811975)による最後の作品である。邦訳のタイトルは内容が一目でわかるアメリカ版のタイトルをもとに、ジーヴス・シリーズの1作であることも示していて、よくできたタイトルではある。一方のイギリス版のほうはちょっと意味不明な感じがし、そのせいでかえって興味がかきたてられそうな、捨てがたいタイトルとなっている。種明かしをしてしまうと、イギリス版のタイトルは本作の最後にバーティーがジーヴスに向かって言う次のような台詞から来ている。

「僕らの心は落ち着いている。なぜかというとここニューヨークはダリア・トラヴァース夫人から五千キロも離れているからだ。僕はあの懐かしき肉親を愛しているし、むしろ崇拝している。しかし彼女の道徳規範は弛緩しているんだ。何かしたいとなったら彼女はどどんと行って、それをやる。今回のねこの件でそうしたみたいに。叔母さんという種族の問題はなんだかわかるか?彼女たちは紳士じゃない。」

物語の主人公バーティーは、胸にぶつぶつができたため田舎に療養に行くことになる。行く先はサマセットの保養地ブリッドマス・オン・シーの近くにあるメイドン・エッグスフォード。その地に滞在中のダリア叔母さんがコテージを捜してくれた。同行するのはバーティーのお側付き紳士で生き字引のジーヴス。さてふたりが到着してみると、メイドン・エッグスフォードは「魔境」だった。アフリカ探検家でバーティーの仇敵であるプランク少佐を手始めとして、バーティーがかつてプロポーズして断られたヴァネッサ・クック、かつての学友で今やヴァネッサの恋人となっているオルロ・ポーターなどなど、バーティーの苦手な連中がわんさといるではないか。しかも土地の競馬大会を巡ってやっかいな事件が持ち上がる。ブリスコー大佐の持ち馬シムラ号に一財産を賭けたダリア叔母さんが、クック大佐の飼い猫をさらおうと企てたのだ。というのはシムラ号と互角の力を持つクック大佐の持ち馬ポテトチップ号はねこと仲良しで、ねこがそばにいないと力が発揮できないとわかったからだ。バーティーはこのねこさらい計画に巻き込まれてさんざんな目に遭うことになる。

この作品の魅力の一つは、気のいい青年紳士のバーティーと、控えめだが凜としたジーヴスのやりとりにある。ふたりは頻繁に古典や詩歌を引用する。時にはバーティーが言葉遣いが正しいかどうかをジーヴスに確かめる。そしてジーヴスはつねに的確に応える。ストーリーを楽しむと同時にイギリス紳士の教養あふれる会話を味わうための作品と言えよう。(2017.10.25読了)


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# by nishinayuu | 2017-12-22 09:10 | Trackback | Comments(1)

翻訳練習 課題4

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今学期の韓国語講座「翻訳の秘訣」で練習したものの記録です。(2017.11.6


秘訣-10 説明を要する言葉は①括弧に入れる②本分に組み込む③脚注にする。

原文:ニートの若者を減らそうと、各県ではあらゆる取り組みを始めて、ニートの自立を目指している。

訳文:①니트족(무위도식 청년) 줄이기 위해 각현에서는 다양한 대책을 세워서 니트족의 자립을 지원하고 있다.

②무위도식하는 청년을 가리키는 니트족 줄이기 위해 각현에서는……

니트 영어 NEET 약어. NEET Not inEducation, Employment or Training 줄임말로 취학도 취업도 하지 않고 직업 훈련도 받지 않는 15~34살의 젊은이를 말한다.


秘訣-11 時には本文の語句を果敢に削除する。

原文1:その晩、子猫はなんとなく眠れませんでした。空には満月が浮かび、町は静まり返っています。

訳文:그날 밤 아기 고양이는 잠이 오지 않았어요. 하늘에는 보름달이 떴고(아니면: 보름달이 뜬 하늘 아래) 마을은 더없이 고요했어요.

原文2:いじめっ子は自分のしたことを思い、なんだか恥ずかしい気持ちになりました。

訳文:왕따를 시킨 아이는 자기가 한 짓이 생각나니 부끄러운 마음이 들었습니다.


秘訣-12 意味を曖昧にするような否定表現は使わない。

原文1:「今現在、好きな人がいないとも言えないというか

訳文:실은 요즘 좋아하는 사람이 있어……

原文2:最近は漢字の読めない若者が少なくない。

訳文:요즘은 한자를 못 읽는 젊은이 많다.

原文3:(旅先で息子について話す夫婦の会話)

  A:一雄、ちゃんと宿題してるかしら。

  B:あいつのことだから、ゲームでもやってるんじゃないか。

訳文:A가즈오가 숙제를 제대로 했을까요?

B녀석이라면 개임이나 하고 있겠지.


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# by nishinayuu | 2017-12-18 12:57 | 翻訳 | Trackback | Comments(0)

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Le PèreGoriot』(Honoré de Balzac

時は1819年。主要舞台はパリのネーヴ・サント・ジュヌヴィエーヴ通りにあるメゾン・ヴォーケ。この類いの家では家主が下の階に住み、最上階の5階には使用人が住む。その間にある部屋は上階に行くほど家賃が安くなる。物語の主要人物であるゴリオは、入居した58歳のときは裕福だったので家主と同じ2階に住んだが、3年目の末には4階の45フランの部屋に移った。最初に持っていた立派な家具調度は消え、服装も着た切り雀のみすぼらしいものになり、やせてしわくちゃになっていた。家主のヴォーケ夫人はゴリオが裕福だったときは同棲を考えたほどだったが、ゴリオにその気がないとわかってゴリオを下宿のつまはじき者にすることを思い立ち、呼び名を「ゴリオ爺さん」と変えた(以上がこれまでのいきさつ)。それでゴリオは物語の冒頭からゴリオ爺さんとして登場する。

ヴォーケ夫人の下宿人たちをざっと紹介すると

*2階――ヴォーケ夫人(家主。48歳)、クチュール夫人、ヴィクトリーヌ・タイユフェール(美少女だが悲しみをたたえた顔。庶子のため父親から認知されていない)。

*3階――ポワレ老人(元下級国家公務員)、ヴォートラン(恰幅がよく、弁の立つ40がらみの男。実はツーロンから逃走した徒刑囚で仲間から「不死身」と呼ばれている危険な男。不整な金を動かして利益を得る、闇の銀行家)。

*4階――ミショノー嬢(ハイミス)、ゴリオ爺さん(元イタリア麵製造業者で資産家、現在は吝嗇で陰険で小心者。実は大金を投じて貴族に嫁がせた二人の娘たちのために、金銭ばかりか身も心も命までも献げる父親)。

*臨時の下宿人――ウージェーヌ・ド・ラスチニャック(南フランスのシャラント県出身。高等法律大学志望であると同時に、社交界入りを目指す。すなわち「法と道徳は富の前には無力」という言葉を信じて、「博士となり、時代の寵児となる!」と決意して、宮廷に仕えたことのある叔母のつてで社交界の花であるボーセアン子爵夫人に近づく。

物語は「ウージェーヌの社交界デビュー」から「不死身の事件」「ゴリオ爺さんの死」へと波瀾万丈な展開を見せ、最後は次のように終わっている。

「(ゴリオの埋葬を見届けたウージェーヌは)腕組みをしてじっと雲を見つめた。それからヴァンドーム広場の記念柱と廃兵院の丸天井の間にある華麗な社交界に視線を投げかけたあと、つぶやく。さあ今度はおまえと一対一の勝負だ!と。そして社交界へ挑む第一幕として、ニュシンゲン夫人(ゴリオの二番目の娘)宅に向かった。」

ゴリオの父性愛は、愚かしくて無様なものであるが、見方によっては時代の制約の中で最善を尽くした尊くも美しいものだったと言えなくもない。また、ゴリオの娘たちをはじめとする女性たちの言動も、彼女たちの置かれていた状況を考えれば納得できる。この作品は、19世紀前葉のパリの雰囲気が伝わってくるし、あちこちにちりばめられた警句やことわざ、言葉遊びでちょっと一息つけるし、映像を見ているかのように鮮やかな場面展開が楽しめる。モームが「世界の10大小説」の一つにあげただけのことはある作品である。

本作品は201531日訳出の青空文庫版で読みました。(2017.10.21読了)


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# by nishinayuu | 2017-12-14 14:54 | 読書ノート | Trackback | Comments(0)

読書と韓国語学習の備忘録です。


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